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ブレイキング・バッド シーズン5 第15話『ニューハンプシャー』 感想  ソウル・・すごくホッとした。それだけでも観た甲斐があった。

ブレイキング・バッド シーズン5 第15話感想です。

 

 ニューハンプシャー州は、日本を中心とした世界地図で見るとアメリカ大陸の向かって右側、大西洋に一部が接している縦に細長い州です。

ニューヨークよりも更に北に位置し、最北端はカナダの国境に面していて、アルバカーキニューメキシコ州というメキシコの国境に接している州なことを考えるとどれほどの距離かわかると思います。

試しにGooglemapでルート検索をしたら、本編でも7000kmの道のりと言っていましたが、これは往復の距離ですね。片道約3500km。

アルバカーキから30時間以上車でかかる計算でした。

 

ニューハンプシャー州では、マンチェスターが一番人口の多い都市(州都ではない)

マンチェスターというとイギリスのマンチェスターの方がサッカーなどで有名だと思いますが、これは歴史上イギリスの植民地だった名残でしょうか。

 ちなみに、ニューハンプシャー州のモットー『Live Free or Die』。

日本でいう県の標語的なものとして考えると、若干(?)激しめにも感じますが、車のナンバープレートにも印字されているというほどのものだそうなので、ニューハンプシャー州民にとっては、自由に生きられないことは死より辛いという意識が根付いているのかなと思いますし、ブレイキング・バッドの終焉に向けての重要なエピソードとなる第15話のタイトルも舞台も、ニューハンプシャーだったことを考えると、ウォルターにとってもジェシーにとっても当てはまるこのモットーは今回の裏テーマだったのかなとも思いました。

 

 

シーズン5第14話の感想はこちら ↓ ↓

 

 

www.meganetamago.com

 

 

 第15話、『ブレイキング・バッド』最終回の一個前です。

ウォルターの逃亡生活、ジェシーの監禁生活のエピソードです。

 

※以下、本格的なネタバレありの感想です。

 

ブレイキング・バッドも残りわずかにしてちょっと展開的に辛くて、観るのが疲れてきてたんで、三日ほどお休みして違うのを観たりして、残り2話のうちの1話を昨夜観ました。

 

ソウルがアルバカーキから逃げて、『違う人生を歩ませてくれる人』のお世話になったんだと知った時は心底ホッとしました。

もう、ブレイキング・バッドのわたしにとっての最後の砦はソウルだったんで。

そのソウルが、ウォルターと再会することになってしまい、わたしがソウルならウォルターに罵声を浴びせ、ウォルターに銃口を突きつけてもおかしくない状態だったと思うけど、比較的淡々と正論を言って説得しようと試みているシーンを観てまた切ない気持ちに。ソウルだって、自分の身を守るためもあると思うけど、自分がウォルターに関わってしまったせいで、たくさんの人を巻き込んでしまったことを思わないわけないと思うんです。だからこそ、弁護士としてのキャリアも捨て違う人生を歩む羽目になった自分を受け入れているのも、その罪悪感も少なからずあったと思う。

 

それに引き換えウォルターは、ビジネスを始めた当初から何人も何人も巻き込んで、当初の目的だった家族を不幸にして、今の状況になってなんとか生きのびている状態で、あと1話しかないのにまだ復讐に燃えてるのか・・って残念な気持ちになりました。

しかも、またソウルを巻き込もうとしている・・。

(お願い、ソウル、逃げてほしい・・ウォルターは友達でもなんでもない。義理も恩もない。迷う必要も罪悪感を感じる必要もない、ウォルターを置いて行くんだ・・)と、一瞬迷いを見せたように見えたソウルをハラハラしながら観ていたのですが、彼がスーツケースを掴んだ瞬間、すごく嬉しかったです。

たくさんの人が不幸になってしまった今、一人だけでも新生活をスタートさせられたという希望の光でもありました。

 

そして、トッドに捕まってしまったかわいそうなジェシー

いくらアンドレアたちを人質に取られているからといって、真面目に純度の高い製品作ることもないのに・・。

生き地獄ですね。

脱出を試みるも、自分ではなく人質を殺されてしまって、わたしなら『Kill my self』な状況です。

ジェシー本人が死んだら、ジェシーの人質を手に掛けても意味ない気がするし、寝具でヒモを作り、蓋の柵のところに引っ掛ければいける。

体重をかけても大丈夫な蓋なので、余裕だと思う。

あそこを脱出したところでお尋ね者だし、人質を殺されるのが辛いっていうメンタルがまだあるなら、自分をやれる気がする。

ジェシーは、脱出が見つかり『殺せっ!』とは言ったけど、自分で自分を殺すことはしなかった。

怖いということももちろんあるとは思うけど、ジェシーは、なんだかんだでまだ生きたいんだなぁ・・って思いました。

諦めてないんだと思う。ウォルターになんとしてでも復讐したいのかなー。

でも、あと1話しかないよ。

 

一方で、たくさんの不幸な人を生み出してしまったウォルターは、雪深い田舎の山奥にほとぼりが冷めるまで隔離されました。

外で、自分がどういう風に報道されてるかも知らず、家族の安否も月一で来てくれる掃除機屋さんからの情報しかない。

家族が居て賑やかに暮らしていたウォルターに、ネットも、テレビもない情報が遮断された山奥で、一人ひっそり暮らすのは、孤独が一番の敵でしょう。

久々に現れた特に仲良くもないおじさんに2時間で1万ドル(100万円以上)のお金を出すのは、おっさんレンタルとしてはかなり高額だし、最終的には1時間1万ドルでも構わないとウォルターは言っていたので相当辛い逃亡暮らしと思いましたが、自業自得といえば自業自得で、そんなに同情もできないというか・・複雑な気持ちです。

 

そんなありあまる時間をウォルターはどういう風に使っていたのでしょうか。

迫りくる死期とも戦わないといけないほかには、何かを考えることぐらいしかすることがなかったと思うのですが、何をずっと考えていたのか。

あの時ああすればよかったとか後悔したり、同じことを堂々巡りで考えるのが普通だと思うのですが、多分、ウォルターは何かわたしでは予想もつかないようなことを考えていて、最終話にそれを持ってくるのかなと思っていますが。

 

そして、孤独に耐え切れなくなったウォルターが、助言を無視し家を出て街に降りてジュニアの学校に電話をして息子を呼び出し、息子にお金を送ろうとしたシーンはわたしは大人なので、ジュニアのパパッ子の反動が憎しみに変わり暴言を吐いているのを見て、(16歳はやっぱり子どもだな・・お金はあって困ることより、無くて困ったり揉めたりすることの方がはるかに多いんだから、まだ働いてないガキは黙って金もらっとけ!)としか思わなかったのですが、わたしにとってのここに来て最大の問題はその後でした!

 

ウォルターが、バーで観ていたテレビで、ウォルターと立ち上げた会社で成功しセレブになった昔の彼女とウォルターの友人だった元カノの夫が、ウォルターの関係者としてインタビューを受けつつ、ウォルターをコケにしているシーンが映りました。

それを観て怒りを募らせるウォルターでしたが、それを観ていたわたし。

 

え? ちょっと待って。 次、最終回。

しかもシーズン最終話とかじゃなくて、ドラマ自体の終わり。

今さらこの話、蒸し返すの!?

それより、もっと片付けなきゃいけない問題たくさんない?

もう、このふたりのことは、ほっといた方がいいよ!!

こっちも、もうどうでもいいし!

 

っていう、気持ちで一杯に。

 

最終回一個前としては、そのインタビューを観ても達観してゆったりとお酒を飲んでいるウォルターを観たかったけど、ウォルターは自分自身のせいで長い蟄居生活を強いられても、自分が【オジマンディアス】だっていうことを信じて疑ってなかったんだなーとこのシーンを観て思ったし、このドラマはそういうドラマだったのかなと思いました。

 

というわけで、残すところはあと1話です。

なんだかんだで、しっかり終わっている海外ドラマの最終話を観るのは、わたしにとってはかなり珍しいことです。

シーズン4までがっつり観たプリズン・ブレイクこれで完結だ!と思っていたけど、観終わったあとに続編が決まってしまったし(笑)

シーズン自体も途中だったり、途中で観るのを放置してたりと色々食い散らかしているなかで、最後まで観たっていうだけでも価値のあるドラマでした。

 

わたしの『ブレイキング・バッド』のレビューも、残すところあと1回。

泣ける!と評判の最終話ですが、本当に泣けるのか・・、そしてわたしはどんな感想を抱いてどんなことをここに書くのか、自分でちょっと緊張しています(笑)

 

それでは、最終回のレビューでまたお会いしましょう。

 

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