たま欄

映画、海外ドラマ、本、時々日常。

三浦春馬君の件に心が支配されてしまっている。

死神の誘惑は強烈すぎる。

すっかり心を支配されてしまった。

 

先日、アマゾンプライムで『コンフィデンスマンJP ロマンス編』 を観て(三浦春馬を愛でる映画だったな・・)って思っていたばかりで、ブログを更新した日付を見たら、6月の23日で一か月も経っていない。

新作にも出るって聞いていたし、そういう気持ちだったし、まさか、その彼が自らこの世を去ってしまったという報道を聞くことになるなんて夢にも思っていなかった。

 

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7/18日の土曜日は、その週の月曜から一週間すごく忙しくて体力も限界だし、メンタルにも来ていてたから、会社を休んだ日だった。

貧乏暇なしとはまさにわたしのことで、弊社はボーナスすら出ない休みも労基ギリギリの薄給ク〇企業だが、コロナ禍で色々混乱を極める中、それでも真面目に必死に働いた一週間だった。

昼間は疲れて突っ伏していた。

 

わたしのスマホは検索ワード情報を勝手に送ってくるスマホなので、夕方から通知の【三浦春馬】という検索ワードを見ても、彼は今までたくさんの熱愛報道があったような気がしたから(映画(コンフィデンスマンの新作)の宣伝で、長澤まさみとのフェイク熱愛報道か・・)ぐらいにしか思っていなかった。

 

わたしは、呑気だった。

 

まさか、特にファンというわけでもない自分と全く無関係の一人の芸能人の死に、こんなに心をかき乱されるとは思っていなかった。

 

報道を知った時は、自分でもびっくりするぐらいかなり混乱した。

え、嘘でしょ。って声に出たと思う。

芸能界では、割と新型コロナがクラスター化している傾向があったので、若者が重症化して亡くなったのかと思った。

 

自分で死を選んだと知ってしまってからの、わたしの心のざわざわはすごくて、元々薄皮一枚で繋がっているような今の人生に、今回の件が重くのしかかってしまい、薄皮が今にも破れそうで、土曜の夜は眠れなかった。

 

彼が演技以外の番組で見かける時に見せた顔は、わたしにとっては、”笑顔の目が笑っていない人”っていう印象で、掴みどころのないイメージだった。

 

浮名を流しているようでいて繊細さを醸し出しており、その美しい容姿とも相まったミステリアスな雰囲気で、演技のうまい人はこのぐらい繊細か、もしくは振り切ってエキセントリックな憑依型タイプがいいというのが、わたしの勝手な持論だったので、個人的に将来を楽しみにしていた俳優さんの一人だった。

 

想像する限り、わたしが切望しているものを全てを持ち併せているであろうと思われる彼に、何があったのかは知る由もないけれど、最初に(話を聞いてあげたかった)という思いが自然に沸き上がってきていた。

見ず知らずの若者に何を言っているのかと自分でも思ったし、話を聞いたからといって、救えたとは全く思っていない。

しかし、彼の身近な人は、わたしの何倍も「何故、自分になんでもいいから話してくれなかったんだ」って思っただろう。

 

『誰かに話すなんてできるわけがない』

 

話せる精神状態ならそもそもこんなことになってない、っていう意見ももちろんあると思う。

 

少なくともわたしは、人になんかしら話せるうちは、自力でなんとか乗り切れることもあるっていうことを知ってるから、話を聞いてあげたかったって思った。

メンタルが少しでも弱い自覚がある人は、聞いてくれる人をなんとしてでも探しておいたほうがいい。

リアルじゃなくても、ネット上の見ず知らずの人でも構わないと思う。

 

生育環境のハードさから、生に対して執着心が少ないわたしは

「生きている意味がわからない、このまま生きていく価値を感じない」

という意見にはかなりの割合で同意できる、そこだけは共感できる。

でも、ショックだった。

キラキラして見えていた人がそっちの道に行ってしまったのに、わたしはなんで生きているんだろうとすら思った。

そこまで行った。

 

そういったわけで、沢山の人たちに生きている価値を認められていた彼だったので、わたしとは違いが多すぎて悩みに考えが及ばないけど、シンプルにただただ疲れていたんじゃないだろうか・・・と、何日か過ぎて今は思っている。

 

 

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前述した、彼は疲れていたのでは・・・と思う理由を個人的な事例から話していきたいと思う。

 

報道記事で『前日は深夜まで新ドラマの撮影があり、翌朝から撮影予定だった』という記述を見た。

仕事は先の先までみっちり詰まっており、俳優としての仕事自体は順調そのもののように思える。

しかし、もしかしたらキャパシティーオーバーだったのかもしれない。

コロナの影響で芸能界では死亡者も出て、舞台ではクラスターも出て、芸能界も例に漏れず、大変だったと思うし、いろんな意味で将来に不安を覚えるご時世だ。

 

わたしは、長距離電車通勤をしており、しかも乗り換えが非常にめんどくさい。

歩かないと帰れないけど、歩く気力がなくなるほど疲れてしまうことがある。

限界ですごい疲れているときは、ホームの線路を眺めながら

 

(次の電車が来たときに、このままここに飛び込んでしまえば、乗り換えしなくてすむな・・・)

 

と思ったことは一度や二度じゃない。

 

帰りの電車でやっと自宅の最寄り駅についたのに、疲れてホームから動けなくてホームのベンチで休んだりして家に帰れない。

特にわたしは女性で、ホルモンバランスに影響されやすいタイプなので、そういう時期はとくにそういう感情や状態が襲ってくる。

 

仕事なんてやめてもなんとかなるとか、

大切な人が悲しむとか、

電車のダイヤを乱してしまうとか、

明日に残してしまった仕事とか、

今日の晩御飯とか・・・

 

そういう現実的な全てのことより「何もかもめんどくさい」が上回ってしまい、どちらかというと、このままわたしの存在が元からなかったことに出来たら、ものすごく楽なのにという、消えさりたい気持ちが心に、まん延してしまう。

 

好きなことをしたり、好きなものを食べたり、好きな人と会ったりするのは終わりが来て楽しいことは一瞬で、その一瞬のために人生をなんとか切り抜けている。

そして、一度現実を手放したら、それはもう自分の元に戻ってくることはない。

あのことも、このことも考えなくていい、あのことも思い出さなくていい。

明日からこれもあれもやらなくていいというリアルの苦行から逃れる術は、なんと魅力があることか。

日々をこなしていくことは、とにかくいっぱいいっぱいで辛すぎるときがある。

意外と大問題に直面しているときのほうが覚醒して、メンタルが安定していたりすることもある。 

 

そして、そこまでの段階になってくると深刻に思い詰めるというよりは、その瞬間は割と無だったりする。

覚悟を決めて、震えながらという感じではなく、思考能力や判断能力も奪われる感じ。

衝動的に何もかもめんどくさくなって、ことにおよんでしまったという人は割と多いのじゃないだろうか。

最近は、いろんな駅でホームドアが設置されているので、線路をボーッと眺めることが減ってきているため、そういう思考は減っている。

ホームドアに、人身事故を防ぐ効果は確実にある気がする。

 

人が抱えているものは本当にそれぞれで、 同じ事柄をどう受け止めるかはその人次第なところがある。

同じ事柄でも気持ちを切り替えて、サクサク乗り切れる人と、どん底まで落ちてしまう人。

それは性質なので、どちらがいいとか悪いとかない。

人の悩みを「その程度」とはけっして言えないし、言ってはいけない

「世界には飢えている子どもがたくさんいて、あなたは恵まれているから、感謝しなさい、頑張りなさい」とご託宣を告げられても、目の前の悩みが解決するわけじゃなし、我ながら薄情だとは思うけど、だからなんなんだと思うだけだ、こっちはそれどころじゃない。

 

わたしは日本という社会の中で人からうらやましがられない生い立ちであり、その後の人生を懸命に歩んできた。

今は、幸せじゃないわけじゃない。

衣食住は足りているし、わたしのことを愛してくれている人もいる。

不満はたくさんあるけれど、今までの人生の中でたぶん一番幸せな生活を送らせてもらっている。

けれど、わたしがこの世から突然消え去っても、みんなそのうち普通に笑うようになるという現実もわかっている。

 

色々乗り越えてなんとかここまで来た。

あと少し、あと少しと日々を乗り切れば、日々を積み重ねられば、あっち側に行きたい自分を食い止められると思う。

 

わたしは上記の通り、ものすごく弱い人間です。

でも、わたしと同じように思う人があっち側に行ってしまうのを食い止めたいという気持ちがある。

気持ちはわかってあげられないかもしれないけれど、努力したい。

自分が行きたいのに矛盾してると思うけど、これを読んだ人、わたしは話を聞くし、聞きたいと思ってるので、なんでもいいから話を聞かせてください。

 

最後に、三浦春馬君のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

 

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※予告観るのも辛かった・・。

君に届け

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  • 発売日: 2019/08/28
  • メディア: Prime Video