たま欄

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【Netflix】『アフターライフ』シーズン2 どうにもできない悲しさと、悲しさを分かち合ってくれる人。

 

イギリスのコメディアンであり俳優であり、脚本家であるリッキー・ジャーヴェイス

 

毒舌が過ぎて賛否両論ある彼が作り出す作品が、疲れた心に刺さりすぎる。

スタンダップなんかの彼は、あんなに人をバカにしたことばかり言っているし、司会で下品なことばっかり言って出禁になった授賞式もあるのに、そんな彼の作品はなぜこんなにも人を愛してやまないのか、そして人の愛を信じることができるのか不思議でなりません。

 

2019年『デレク』で死ぬほど泣いて『アフターライフ』でも死ぬほど泣いたのですが、先日『アフターライフ』のシーズン2が配信されました。

綺麗に終わったからリミテッドシリーズだと思っていたので、シーズン2の配信嬉しいです。

 

最近、コロナの影響で色々ありすぎてて心が死んでいたため、映画や海外ドラマをじっくり観る気になれなくて主に『ルポールのドラァグレース』を観て、もともとマイナスな自己肯定感を必死に保ち、嫌なことがあるたびに【心のルーママ】を呼び出しては励ましてもらっていたのですが『アフターライフ』であれば、ドラマでも多分大丈夫だと思って、シーズン1の復習から始めました。

 

『アフターライフ』は大画面で堪能するっていうより、とにかく静かに観たい作品なので、タブレットとヘッドホンで観ているんですが、

 

びっっっくりするぐらい泣いた!!

 

いや、いくら情緒不安定だからってこんなに泣く?

って自分でドン引きするぐらい泣きました。

二周目なんですよ?

嗚咽。

声出しておいおい泣いた(笑)

顔を手で触るなって今は言われているけど、鼻からも目からも水がダバダバ出るから無理だった。

シーズン1の6話(約3時間)観終わる頃には顔も目も腫れておかしくなってるし、頭もガンガンしていたし、万が一目からウイルスが入っていたとしたら、多分全部涙で体の外に排出された。

 

涙活大成功。

 

泣いたからって現状が変わるわけじゃないから、生活自体はどうにもならないんだけど、多分なんかしらには効いたような気がします。

 

というわけで、シーズン1から数日置いてシーズン2に入って完走したので、シーズン2の感想に入りたいと思います。

リッキーの作品なんで、不謹慎さはしょうがないけど、慣れました。

シーズン2でも相変わらず、不謹慎担当が居て、猛烈にイライラするんですけど(笑)

 

これがないと、ただダバダバ泣いてばっかりのリッキーが嫌いなきれいごとばっかりの作品になってしまうと思うんで、それは避けたかったんだと思うし、イギリスコメディー自体が不謹慎に皮肉を挟むのがセットみたいなんで。

下ネタが苦手な人は最初はびっくりすると思うんですけど、そのうち慣れますので。

イギリスコメディーは、そういうもんだと思ってくれれば。

 

あ、シーズン2はシーズン1のすぐ続きなので、シーズン1未見の方は必ずシーズン1を観てから臨んでくださいね。

 

※シーズン1の感想はこちら

www.meganetamago.com

 

 

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イギリスの田舎の地元のフリーペーパー制作会社が舞台の『アフターライフ』。

コラムを書いて新聞に載せる仕事がいまのわたしにはすごく羨ましくてたまらなくて、それだけで涙が出ました(笑)

なにより職場が静かで、ソーシャルディスタンスが確保されていて、ボスが穏やかでまともで、事務の人がきちんと居て、どんな変な案件でも文章を書くことは好きだから、サンディーになりたい。

 

そして、シーズン1に引き続きリサのことも相変わらず羨ましかった。

トニーがリサの動画を観る目がいつも愛情と悲しさに溢れていて、リサがカメラに語りかける姿もトニーへの愛に溢れていた。

シーズン1ではあまり他人に語ることのなかった、トニーが語る些細なリサの日常の物語に彼の心の傷が癒えていくのを感じてはいたけど、語りながら涙ぐむ姿には参った。

そのたびにわたしも泣きました。

 

コロナウイルス真っ只中の今、普段は人間関係に適切な距離を保って空気を読んで行動はしているつもりだけど、みんな疲れていて普段は隠れている人間の本質的なところが浮き彫りになっています。

みんななんかしらピリピリしていて、攻撃的になっている人も多いし、恐れや不安が怒りに転嫁している人もいる。

それぞれの不用意な行動で人の命がどうになかるかもしれない事態なので、穏やかでいられないのはもうほんとうにそれはしょうがない。

許容範囲が狭くなっている。

わたしももちろんそうです。

 

だけどわたしの場合は、助かりたいとか、生きたいとかじゃなく、どちらかというとどこかに逃げ出したい気持ちになっています。

そういう気持ちが、トニーとリンクしてしまった。

トニーも死にたいといってほのめかしているけれど、朝起きるとリサが居ないという現実を生きるのが辛いので、死にたいというより自分の存在をなかったことにしたいというか。

自分のことを心配している人がたくさんいるということ、愛する妻を失っていてもけっして孤独じゃない自分のことをわかってはいるけれど、気持ち的にどうにもならないことってあるし、消え去りたいという気持ちになることってあるじゃないですか。

死んだら自分を愛してくれている人を悲しませるうえに迷惑をかけてしまうのはわかっているけど、それは最初だけで自分が、今突然いなくなっても世界が何事もなく回っていくのもわかってはいるし。

 

そんな中でも『アフターライフ』が描きたかったのは、終始一貫して『誰かの悲しみを救うのは、誰かの周りの誰か』ってことだとわたしは解釈しました。

 

一番身近な人だけが、悲しみを救ってくれるとは限らなくて、どこかで細く繋がっている糸が何かのきっかけになるかもしれなくて。

そういう人が寄せてくれる些細な優しさや心が、生きる力をくれたりするシーンがとても好きです。

郵便配達員がはがきをくれるシーンがすごく印象に残っています。

 

あと、リッキーの作品が好きなところは繰り返しになるんだけど、世間で忘れ去られているような職業や人を相変わらず差別しないところです。

今話題のエッセンシャルワーカーしかり、無職の人でさえも誰にでも人生があり、どんな職業も生き方も、個人の自由で非難するべきではないという強いメッセージ性を感じます。

そのくせ、カウンセラーをこき下ろすのはいかがなものかとは思いますが(笑)

 

それぞれのキャストがシーズン1のときより、なんとなくちょっとだけ前に進めて、少しだけ幸せなシーズンラストを迎えられたのでよかったです。

自分のことを気にかけてくれている人は、自分が思っているよりも多いかもしれないって、わたしは最後は思えました。

 

最後に、改めて悲しさっていうのはフィールドがあって、今回のコロナ騒ぎでも「その発言はないわ・・」っていう、本人の悪気のない発言にドン引きして、人間関係に影響を及ぼしていることが割とあると思うんです。

強さより、弱さが露見されていることの方が多いような気がするし、わたしもやっぱりこいつとは相容れないと思うことが多い。

 

楽しさや喜びを分かち合うのは存外簡単だけど、悲しさや不安っていうのは、人それぞれで、わかる人にはわかるし、わからない人には全然わからない分野だったりする。

それは、生きてきた環境で全然違うから。

そして、例えわかってくれないとしても、誰かが悲しんでいるときに、その悲しさを分かってくれようとしてくれる人が人間関係で一番大事で、そういう人をこれから大事にしていけたらいいなと思ったし、わたしも誰かのそういう存在でありたいです。

アフターライフ、シーズン2もすごくよかったです。

 

いやー、それにしてもよく泣いたね!

ブログ読んでくれている人は泣いてばっかだな・・と思うかもしれないけど、普段は私生活ではあんまり泣かないので、3年分ぐらいは泣いたかもしれない(笑)

 

 

余談ですが、ブランディーは単なる役者犬でリッキーの飼い犬ではないのですか?

あまりにも二人が自然だったもので。

 

これを機会に『デレク』も復習しようかなと思います。

早くGWにならないかな・・

 

というわけで、それではまた。

 

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