たま欄

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『2人のローマ教皇』2019年来日の教皇が主役。神と聖職者と民の三角関係は矛盾に満ちている。

2019年アカデミー賞・作品賞『グリーンブック』を未見で当ててムビチケ山分けポイントをゲットした身としては、本年2020年の作品賞も是非当てたい。

しかし、今年はキャンペーンをやっていないため、完全に『二年連続で当てたい』という自己満足なだけなのですが、予想の精度を上げるためアカデミー賞にノミネートされている作品は、”観られるものは作品賞に限らず観る”という個人的なキャンペーンのため、こちらのNetflix配信映画『2人のローマ教皇も視聴しました。

 

ちなみに、アカデミー賞には、主演男優賞にジョナサン・プライス助演男優賞アンソニー・ホプキンス、そして脚色賞がノミネートされています。

先に発表されたゴールデン・グローブ賞では、作品賞、脚本賞、主演、助演男優にノミネートされるも惜しくも受賞ならず。

 

そして、今回ご紹介させて頂く映画は、去年の11月に来日し長崎で祈りを捧げ、被災者と交流、東京ドームで5万人の信者の前でミサを行った、第266代ローマ教皇・フランシスコ。

そして、前任の第265代教皇ベネディクト16世二人の物語です。

まずは、こちらをご覧ください。東京ドームで信者に迎えられる教皇・フランシスコ。

 

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そして、Netflixの予告

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メガネをしている、してないの違いはあれど役者さんと本人がかなり近い。

役者さんは、前述のとおりジョナサン・プライス

有名海外ドラマゲーム・オブ・スローンズでハイスパローを演じていたため、またもや、(この人、誰だっけ・・・)を生み出してしまいました。

聖職者っぽい役だったし。

雀聖下(ハイスパロー) | ゲームオブスローンズ Wiki | Fandom

ジョナサン・プライスはイギリス出身の元々舞台畑の俳優さんで、トニー賞を獲得もしています。

なので、目力がアンソニー・ホプキンスに負けてなかったよ。

 

ベネディクト役だったアンソニー・ホプキンスも本物とかなり見た目が近かったです。

予告では『実話に基づく物語』 と書いていて、確かに二人とも実在した人物ではあるのですが、逸話や人間性はかなり近いものの、ストーリーは脚色でした。

なので、この作品は事実ではないけど、ドキュメンタリーではなく映画だし、二人の人間性をうまく交差させ、史実も折り込まれて作られた素晴らしい作品でした。

 

この記事を書くために二人のことを調べていたのですが、作品を観た直後ということもあり、基本的に心が汚れているわたしでも、神に祈りを捧げたくなってきてしまった。

罪を許してもらえそうな気がしてきた。

宗教とは無縁な人生だけど、人類が大昔から神を心のよすがに辛い人生を乗り越えてきた気持ちが今はすごくわかる。

 

ローマ教皇の言葉が染みる、染みる。

 

ローマ法王の言葉 The Words of Pope Francis

ローマ法王の言葉 The Words of Pope Francis

 

 

というわけで、映画の主要人物、現教皇と前教皇の二人を映画のネタバレも混みで紹介しつつ、個人的な感想も織り込んでいきたいと思います。

 

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映画自体はおそらくキリスト教徒だったらある程度の前提は知ってるよね?」っていう、説明が省かれた状態で進んでいくので、ここで登場人物のモデルとなった二人の概要をご紹介したいと思います。

ちなみに、キリスト教カトリックのお話になります。

 

まずは、前265代教皇ベネディクト16世アンソニー・ホプキンスが演じてる方)

本名は、ヨーゼフ・ラッツィンガーで、ドイツ生まれのドイツ人です。

264代の教皇は晩年病気もしていたようなので、側近であり実質の仕事を担っていたラッツィンガーが次期教皇の第一候補だったそうです。

コンクラーヴェ(完全推薦制の教皇選挙:教皇にふさわしいと思う人の名前を選挙権を持つ者がそれぞれ書く。全体の3分の2以上が選んだ者が新教皇として選ばれる)2日目でラッツィンガー教皇が決定。

ベネディクトという教皇名を選びました。

在位期間は2005年から2013年なのですが、基本的に教皇職は終身(死ぬまで)という慣例があった中、719年ぶりに約8年の時を経て教皇職を辞任。

辞任理由はいろいろありますが、下記映画にもなったボストンの新聞による、カトリック教会の性的虐待の壮絶な事実をあぶりだした実話をもとにした作品『スポットライト』でも描かれている通り、大々的な報道があったのは2002年、その3年後に教皇になったベネディクト16世が、事件の対応に苦慮している間に2010年、ニューヨーク・タイムズ紙がベネディクト16世自身が性的虐待をもみ消した事実をすっぱ抜きます。

そのことで、ベネディクト16世に対する批判が高まったうえ、ベネディクト16世の執事がカトリック組織にまん延するマネーロンダリングなどの汚職内部告発、執事は逮捕。

のちに執事はベネディクト16世によって恩赦を受けますが、そういうゴタゴタが続いていました。

 

映画では、内部告発性的虐待もみ消し事件についてはそこまで追及して描かれていません。

観てるほうは知ってる前提で、あとのことは想像に任せますよっていう感じですが、ベネディクト16世のそれらに対する葛藤が作品内では描かれています。

 

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 そして、今回の作品の主役である第266代教皇、フランシスコ。

ホルヘ・ベルゴリオ。

アルゼンチン生まれのイタリア系移民です。

ちなみに、前教皇が16世であるのに対し、フランシスコは、フランシスコ。

教皇名にフランシスコを選んだのは、ホルヘ・ベルゴリオが初めてだからです。

ちなみに一番多いのはヨハネ

元々のフランシスコは概要は省きますが【改革者】であった聖人でした。

今までの教皇が誰も使ったことのないその名を教皇に選ばれたベルゴリオが選択し、フランシスコ一世が誕生することになりました。

そして、南米はもちろんアメリカ大陸初、南半球初教皇です。

貧しい信徒に寄り添い、本人も質素倹約を好む、思想的にはどちらかというと革新派教皇と言われています。

信徒には親しみやすく優しいけど、身内には非常に厳しいそうです。

前任のベネディクト16世は超保守派だったので、次期教皇にフランシスコを選出しているという時点で、カトリック界にも新しい風が吹いているようです。

 

そうはいってもカトリックなので、多様性についてすべてを許容しているというわけではなく、フランシスコも基本的に避妊や中絶には反対。

しかし、カトリックでは妊娠中絶をした信徒、または離婚をした信徒は二度と教会の敷居を跨がせないというスタンスでしたが、それは許容の姿勢です。

母国のアルゼンチンが同性婚の法律を導入した際は反対派に回りました。

当時のアルゼンチン大統領夫妻(後に大統領だった夫が死亡、妻が大統領に)リベラル推進派で、カトリックのベルゴリオとはかなり対立していたようです。

カトリックの言い分は、神の決定した性別や役割に逆らってはならないという理由のようですが、【全ては神の創造物であり思し召し】というキリスト教の基本は、ここ数年のキリスト教系のドラマの見過ぎでなんとなくわかっていたのですが、全く無神論者のわたしからすると(そういう人間を作ったのも神では?)と思ってしまうため、聖職者にどう答えてもらえるのか、非常に気になります。

 

そして、彼が若いときに巻き込まれた、アルゼンチンでの通称「汚い戦争」での10年以上にわたる軍事政権下における若きベルゴリオの立場や、信仰との狭間で揺れる心を描いたのが映画後半のメインパートです。

ちょっと映画ではわかりづらい構成なのですが、当時のイエズス会カトリックの男子修道組織)は、表向き政権側についたそうで、 それに反発するイエズス会の仲間ももちろん居て、弾圧される市民と行動を共にしていたりした。

ベルゴリオはイエズス会と政権の間に入り、無駄な血を流すのを避けるのに回りましたが、その行動は理解されず当時政権側にベルゴリオがついたことにはいまだに賛否両論らしく、教皇フランシスコ”に対して異を唱える信徒もいるようです。

 本当にベルゴリオが保身で政権側についたのかどうかは、本人しか知らない事実ですね。

 そのことがきっかけで、ベルゴリオはより信徒に寄り添うようになったのかもしれません。

 

というわけで、映画のメインである二人の教皇の概要をご紹介させて頂きました。

イエズス会も、コンクラーヴェも知らなかったわたしは、この映画を観たことで知恵熱出るかと思うぐらい、カトリックの勉強させもらいました(笑)

でも、この映画は多様性を重んじるNetflix配信作品なので、カトリック的な部分は割とぼやかされていたと思いますし、信者にもそうでない人にも全方向に気配りがされているとは思いました。

 

映画の見どころはいくつかありますが、まずは主演二人の絶妙すぎる演技。

ベテランならではの喋らないまでもの意思疎通、背中やたたずまいで気持ちを語るシーン、上質な舞台を観ているようなお芝居で非常に見ごたえがありました。

宗教のことに興味がなくても、おじいちゃん二人が真剣に話し合ったり楽しそうに話し合ったりしてるのを観るのはとても癒されました。

 

そして、お芝居では観られない美しい映像美も特筆すべき部分だと思います。

宗教儀式の荘厳さ、衣装の美しさ、バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の息を呑む美しさはちょっと言葉にできないです。

もし万が一映画に興味がなくても、その景色を観るだけでも価値があると思いました。

あと、いろいろな言語が聞けて楽しかった。

その中でもスペイン語はやっぱり好きだと思った。

 

そして、この作品のメインテーマであると思うんですけど信仰を貫く難しさ。

聖職者の皆様は神の声を聞き、神の存在を心から信じて疑わず、神の教えを広めることが使命だと思ってるというのが基本だと思うんです。

この作品でも独裁政権や聖職者が加害者の性的虐待が描かれているんですけど、そうだよね、心から信じてるからこそ、そういうことが起こったときに現実を受け止めるの辛いよなっていうのを実感したということです。

例えば、未だに世界平和は訪れておらず、戦争、貧困、飢餓、難民、これを何故神は起こすのだろうということを考えたことがないわけないと思うんですよ。

それでも、神の存在を信じて疑ってないわけじゃないですか。

いや、もしかしたら多少は疑ってるのかもしれないけど、自分が素晴らしいと思うものを口コミで広めてるわけですよね。

 

一番思ったのが、カトリック教皇という存在は実際は実務を担当しておらず、宣教を中心に行っていた人が多いと思うのですが、神を心から信じてる聖職者がそんな神の真意に背く罪をおかすはずがないという思いが、事態の収束を鈍らせたのかもなと見ていて思ってしまったのです。

事件を隠蔽したと言われていたけど(そんなことが起こるなんて信じてなかったのでは?)と思いました。

だから、教皇の発言ももやもやしたものになった。

信じる力に関してはわたしなんかよりも長けていると思うし、罪は許されるものっていう信念もあるじゃないですか。

 

あと、自分が人生をかけて信じてきたものは否定したくない。

自分の今までを全否定するの辛すぎる。

 

例えばカルトなどの洗脳が溶けにくいのも、そういう自分が間違ってたと認めたくないっていう気持ちが働くのもたぶんにあるよなって考えたり。

こういうのって、教皇の葛藤とレベルが違いすぎる気もするけど、わたしには世界13憶人のカトリック教徒のトップという気持ちはわからないですが、どういう心理状態かなと考えに考えた結果、”推しの不祥事が発覚”が、気持ち的には一番近いのかなとも思いました。

熱狂的な人は、ありえない論法で擁護したりするけど、本人はいたって本気なんだろうなーと今なら思えます。

 

わたし自身は、おそらく神を信じることはないと思いますが、自分の信じた使命のために、あらゆる言語を勉強し(先代教皇は6カ国語ぐらいいけたらしい)、社会情勢にアンテナを張り、弱者に寄り添おうと信徒と聖書に人生を捧げた人たちの物語は、非常に思い出深い作品となりました。宗教に解釈は山ほどあれど正解はないからこそ、難しいと改めて感じましたし、争いも起きるのかもしれません。

 

最後に、荘厳なシスティーナ礼拝堂で執り行われるコンクラーヴェの際に、昔ながらの道具、昔ながらの衣装、 昔ながらの手順、の中にさしこまれるちょっとした現代感に思わずクスリとした場面もあり、ラストシーンも非常によく後味の悪くない作品です。

 

思いのほか作りこまれた作品だったので、脚色賞の受賞はいけるかもと思っています。

ここまで読んでくれた方はお疲れ様でした、ありがとうございました。

 

それでは、また。

 

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