たま欄

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【りっすん】ブログコンテスト あの日、わたしは『ブログを始める』という決断をした。

#「迷い」と「決断」

 

優柔不断なので、毎日何かに迷っているし、決断をすることが非常にストレスだ。

空腹時、品揃えが厳選されている小さなコンビニに入っても、何を買うかなかなか決められず、しまいには何も買わずに出てきてしまうぐらいの重度の【決断下手】。

それでも、毎日、毎日「迷い」と「決断」は、わたしを追ってくる。

 

 このブログコンテストのお題「迷い」と「決断」を見かけたとき、今まで自分が決断してきたことを色々と振り返ってみたり、周りの人たちが迷って決断したことも考えた。

進学、就職、転職、結婚、出産・・などなど。

(みんな、どんなことを書くのかな)と思った。

若い人や、逆に年配の人の思い切った決断は読んでいて面白そうだ。

そういうのが読みたい。

そして、そういうネタがある人は羨ましい。

わたしは、若くもないし、年配でもない中途半端な年齢で、現在特にこれといって人にアピールできることもない。

過去はともかく、今に関して言えば自分を不幸だと思ってはいないけど、もしわたしが他人だったら、わたしはわたしを羨ましがらないような人生だ。

なので、コンテストのバナーが目に入るたびに気にはなっていたけど、スルーしていた。

だけど、ある日、このコンテストのことを話題にしてみた結果(たまには何かのレビューじゃない記事を書いてみるのもいいか)と思った。

 

そして、そんな決断をした後、PCの前でまた迷う。

劇的な内容の方がセンセーショナルで目に留まりやすいのかも、いやいや敢えてここは、日常の小さな迷い、バニラアイスかチョコミントかみたいなことを書いた方がいいかなど、ここでも「迷い」と「決断」を迫られる。

 

『ブログコンテスト』なので、わたしと同じテーマで書く人も多いかもしれないと思ったけど、書きたいことを書くのが一番いいと思った。

最終的にわたしの人生の毎日を記録している『ブログを始めるという決断をした』ことを書くことにした。

 

わたしは、会話のキャッチボールが苦手だ。

その場で相手に気持ちを伝えられず、理不尽な目に遭っても後からジワジワ怒りが沸いてきて(あの時、こう言えばよかった)と後悔することが多い。

関係が深くなればなるほどその傾向は顕著になり『文章にしてまとめる』というのが、わたしの最適な気持ちの伝え方だと、今ではわかってきた。

スマホの普及は気持ちを伝えるツールとして大活躍。

SNSの発展は言わずもがな。

 

そういったわけで『文章を書いて世に発信できる』というブログを始めたいと常々思ってはいたが『ブログを始める』という決断はなかなかに勇気がいった。

まず、続けられるかどうかわからないという不安、そして誰にも読んでもらえないかもしれないという不安。

自分の文章力に特に自信があるわけでもなく、ブログの知識はゼロ。

(世の中にすでに面白いブログがたくさんある中、今更わたしがブログを開設したところで)と、ぐずぐず1年ぐらい悩んでいた。

今思うと、怖かったんだと思う。

基本的に人生の変化がすべて怖い。現状維持をとにかく続けたい。

現状維持を続けるためであれば、ある程度の嫌なことは忍耐で乗り切れる。

ブログを始めることで、何かが変わることが怖かった。

 

だがある日突然、決断の瞬間は訪れた。

悩んでいるのが面倒になったのだった(笑)

いつもそうだ。

ぐずぐず迷っている割には、迷っているのが猛烈に面倒になる。

 そして、たいがい『現状維持』という選択はしない。

 

決断してからの行動は早い。

悩んでいる時間が長いので、その間にある程度の情報収集はできているからである。

それでも右往左往しながら手さぐりで始めたブログも、開設してから2年以上経過した。

当たり前だが初めてすぐの頃のアクセス数は少なかった。

それでも、コツコツ記事を書いて更新していった。

今のところこの記事は、624記事目。

ブログの諸先輩方から見れば、アクセス数を増やす努力も検索上位を目指す努力もしていないわたしのブログは、今でも未熟そのものだろうと思う。

そして、アクセス数もそこまで伸びてはいない。

 

だけど、得るものは大きかった。

まず、普通に生きていればまずほとんどの大人がそんなには日常的には経験できない『他人に褒めてもらえる』ということがたまにある。

賃金が発生する会社では、仕事を一生懸命しても会社ではそんなに褒められないし、評価もされない。

家事を一生懸命頑張って、感謝はされても”褒められる”ということは実際はそんなにはない。

わたしの人生に圧倒的に不足していた『褒められ体験』というのがブログの存在によってもたらされた。

自分の自由な時間にわたしの書いた文章を読んでくれるだけでも、感謝してもしきれないぐらいなのに、更には書いた内容に言及してもらえるなんて、なんて素晴らしいことなんだろうと思った。

挙動不審になるぐらい嬉しい。

更にはブログ関連のSNSを通じて、趣味を共有できる新たな人間関係も生まれた。

大人になると友達は減る傾向にあるし、そもそもわたしは友達が少ないタイプなので、これは非常にありがたい。

2年以上もブログをやっていると、仕事でもないし色々なものとの並行も厳しくなり(もうやめちゃおうかな・・)と思ったことも一度や二度ではなかったが、続けさせてくれたのも、読んでくれている人の存在があってこそだった。

 

人生もそこそこの時間を経過し、なんとか今まで生きながらえてきた。

誰しもそうであるように、わたし自身にもここに書けないような経験や過去がある。

【めがねたまご】として今まで書いてきたことにウソはないけれど、それはわたしであって、わたしではない部分もある。

そして、今までしてきた人生での数えきれないほどの決断が正解かどうかなんて自分自身にもわからないし、多分、正解なんてない。

100人いれば100通りの「迷い方」「決断の仕方」がある。

 

あの日『ブログを始めるという決断』をしたことは今現在全く後悔していないし、この先『ブログを辞めるという決断』をしたとしても後悔はしないだろう。

だけど、後悔したとしてもそれはそれで構わない。

 

「迷い」と「決断」とはそういうものであると思うからだ。