ドラマ『9-1-1:LA救命最前線』のシーズン5のep15のテーマは”FOMO”だった。
ここ最近”中年の危機”の真っただ中なわたしには他人事ではなかった。
FOMOとは、”Fear Of Missing Out"という人間の心に関する用語のことでSNS社会になって出てきた、『自分が見ていない間に情報を取り逃がすことが怖い』とか、『取り逃がした時間に対する不安』とか、『他人が自分より得をしていることが怖い』とかそういうことを言うらしい。
FOMOの定義もはっきりとはしていないが、わたし自身は他人が自分よりいい環境にいることはデフォルトなのでそういう不安は人より感じないほうだということが、パートナーとの生活でわかったことの一つにある。
なので、”他人の得”と言われることに関してはそこまで不安や恐れは感じていない。
おそらく生育環境にその原因があって、パートナー曰く
「劣悪な環境で育ったにもかかわらず、生まれながらに色々恵まれている人に対しての嫉妬が少ない。むしろどっちかというと好ましいと思うのは変わっている」
と言われたことがある。
わたしが長い友人関係を持っている人の中に、生まれながらの超セレブがいるからだった。
パートナーはそのことを非常に不思議だと思っているようだ。
嫌だと思わないのかと直接聞かれたこともある。
そもそも自己肯定感が低いため、嫉妬心を抱く対象というのが少ないというのもあるけれど、わたしにとっての彼女はファンタジー世界の住人なので嫉妬の対象ではない。
一般の人がハリウッドセレブに対して嫉妬心を抱かないのと同じような感じだと思う。
もちろん「彼女のような環境に生まれ育っていたら」と思わないわけではないがそんなことは思っても仕方のないことだしこちらの苦労も知らないくせにとも思わない。
苦労ははかれない。
彼女は年齢もかなり離れていることもあり、話や価値観は正直合わない。
おそらくわたしの性格のこともそんなにはわかっていない気すらする。
なぜ長く友人をしているかというと、彼女は正直で、人を貶めようなどとは決して思わないところが人として好きだからだった。
そしてたまにわたしに会うとすごく喜んでくれて、昔の照れる話を蒸し返すのが嬉しい。
ただ、最近自分自身に対しての人生の決断に対する「間違っていたのではないか」という正解のない答えに対しての不安が、ある日心の中ですごく大きくなってしまった。
ここにきて、大学受験前の模試の結果が散々だったと言われているようだ。
模試がさんざんだったという結果を見て、
「あの時、高熱を出していなければ…」
「あの時、遊びに行っていなければ…」
「あの時あっちの塾を選んでいたら…」
と後悔するような気持ちと似ているような気がする。
決して勉強していなかったわけではないけれど、志望校への夢が閉ざされそうになって絶望的になるような気持ち。
ここで終わりなわけじゃなくまだまだ先があるのに、気持ちだけは焦っている。
未来への不安、死への不安。
やはり母の死というものの衝撃が大きかったのかもしれない。
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ここまで来るまでに、子ども時代をサバイブして就職して何十年とコツコツと働いてきた。
裕福ではないし資産もないけれど、仕事があって家賃を払えて三食食べるのに困る生活というわけでもないし、スマホをもってサブスクもやれている。
これがわたしの精一杯だと思うし、けして不幸ではない。
むしろわたしの人生の中では上出来なほうだ。
でも、なにかに責められて追い立てられている気がする。
何者かになりたいなんてそんなたいそうなことは思っていないけれど、せめてもうちょっと楽な生き方ができたのではないだろうか。
もっと頑張っていれば今はもっと違う人生だったんじゃないかという違う次元に生きる自分を思う。
こういう気持ちが”FOMO”だったり”中年の危機”だったりするんだろう。
けれど、その不安と並行してわたしは本当に頑張っていなかったのだろうかとも考える。
普段は記憶があいまいになっているけれど、きちんと振り返るとそこそこ頑張っていたんじゃないかと思う。
世間的には充分ではないかもしれないけれど、わたしはわたしなりに頑張っていた。
与えられた環境のなかで子どものときも、家を出てからも、家族が失業したときも、自分が病気になったときも頑張っていたと思う。
頑張った自覚はなかったけれど、必死に頑張っていたのではないか。
他人に断罪されているような気になっていたけど、自分で自分を断罪している。
自分で自分を断罪するようなこんな無駄なことはやめなければならないと思いつつ、ぐずぐずやめられないでいる。
母の死の直後は、”人間いつ死ぬかわからないから、先のことなんて考えていても本当に無駄”だと思っていたし、二年前は毎日死にたくて自分の未来のことなど全く考えられなかったのに、未来に不安を抱くなんてずいぶんといろいろ回復したんだなと自分でも思う。
それこそあの時、道を違えていたら、そっちの道に引きずり込まれていたら今の自分はない。
人間というのは本当に勝手な生き物だ。
死にたくなくなったとたんに死ぬのが怖くなるなんて。
そうはいってもあと何十年もあるかもしれない命、なんとかもがいて生きていきたいと思う。
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