たま欄

※当サイトの企業リンクはアフィリエイトを使用しております

【Netflix】ダーマー 感想 ライアン・マーフィーがアメリカを震撼させたシリアル・キラーを多角的に描く。

Netflix『ダーマー』。

 

シルバーウィークの後半に二日かけて一気に見てしまい、精神力をゴリゴリに削られたNetflixで今月配信された実在のシリアルキラーを描いたドラマ『ダーマー』

 

配信されるやいなやtwitterのタイムライン(わたし個人の。トレンドに上がっていたとかではない)で祭りになっており、ライアン・マーフィーの作品が比較的好きなこともあってミーハー心に勝てず、家人とひたすら見ていました。

 

予告でけっこうネタバレもあるので、あえてリンクは貼っていません。

 

わたし自身のアメリカのシリアルキラー知識としては、『ダーマー』と同じくNetflixのドラマである『マインド・ハンター』に登場するエド・ケンパーぐらいしか知らず映画『IT』のペニー・ワイズのモデルとされるジョン・ゲイシーも知らないぐらいの無知で、ジェフリー・ダーマーのことは今回初めて知りました。

 

海外ドラマ観るようになってからシリアルキラーに興味が出た程度です。

 

全く予備知識なく臨み先入観のない状態で観られました。

 

そのため、彼の今までの犯罪や報道を知っている人とはわたしと違う感想を抱いて観ていたと思うし、実際twitterの感想も読んでいたのですが千差万別だったので、ここに書く感想もこれを読んでいる人とは違った感想になると思います。

 

個人的には今回の作品の脚本家であるライアン・マーフィーが関わっている作品は割と好きで観ているほうなので、今回の『ダーマー』に関しても(ライアン節が炸裂してるな・・・)という感想を抱きました。

 

とは言いつつもライアン・マーフィーの代表作であるGleeには何度チャレンジしてもハマらず、アメリカン・ホラー・ストーリー』もシーズンが長すぎてシーズンの2ぐらいまでしか観られていない程度のため、今回のドラマで主人公のジェフリー・ダーマーを演じているエヴァン・ピーターズがアメホラに出演しているライアンファミリーとは全く気づきませんでした。

 

確かによくよく考えてみると『POSE』には出てた人だった。

 

グロテスクな表現うんぬんに関してはかなり許容範囲が広いのでわたしの意見はあまり参考になりません。

家人はまぁまぁグロテスクなものは平気な人なのですがわたしほどではないです。

「あえてそういう部分は見せないなどの想像に任せる作りにしてあり、直接的な表現はあまりなかったためあのシーン以外は大丈夫だった」と言っていました。

色々な配慮ももちろんあるうえでの演出だったとは思うのですが。

 

それに今回のドラマに関していえば、事件の凄惨さを描くのが本質ではなかったとわたしは感じていました。

もちろん、その部分を避けては通れないですが、事件の凄惨さを描いたものはたぶん他にもあって、アメリカだとある一定の世代には周知の事実なんだと思うんです。

それに、今回はそういうことを描きたいのではないとわたしは感じていました。

 

二度とこんなことに誰も気づかないなんてことがあってはならない、というのがテーマかなと。

 

あとは、ドラマから感じたのは被害者への哀悼の意です。

 

被害者への冒涜はあってはならない。

 

だからこそ、最後まで観られたというのもあると思います。

実際には、被害者家族からは反発もあると思うし、そっとしておいてほしいという思いもあると思うのでそこは複雑な思いです。

 

<広告>

 

 

わたしがライアン・マーフィーという作り手の作品に興味を抱いたのは、Netflix『ザ・ポリティシャン』というドラマがきっかけだったと思います。

それまで知らずに観ているものはあったかもしれないけれど、認識しだしたのはたぶん『ポリティシャン』だと思う。

そのあと『9-1-1』シリーズとか『POSE』とか観るようになったし。

 

正直、『ポリティシャン』はマニアックで知名度低くてわたしのブログでもシーズン1は1話レビュー書いてるけど誰も読んでくれてない状態なんですが個人的にはすごい好きなドラマでした。

ただ、ドラマ自体がブラックコメディー風味に仕上げてはいるけれど、社会を痛烈批判してる内容だし作品としてかなりクセがあって個性的なのでお勧めはしないです。

 

この作品の名前を出したのは、このあと観た作品が『ポリティシャン』で描かれていたことが、そのあと観たライアン・マーフィーの作品のイメージと合致するからなのでこの話に少しお付き合いください。

 

『ポリティシャン』は、ものすごいお金持ち学校に通っている富豪の養子として育った白人の主人公が「将来大統領になる」という夢を叶えるべくハーバード大学に進学するために、生徒会長を目指すという青春ストーリー(?)がシーズン1で、シーズン2は市長に立候補します。

 

資産家学校の選挙という舞台であらゆる手を使って当選を目指すなかで、あらゆる差別や社会の闇を浮き彫りにしていくのですが、この作品を見ていてわたしが感じていたのが「白人至上主義社会への強い怒り」「男尊女卑男性への憎しみ」です。

裕福な白人男性という圧倒的マジョリティーを誇示することで、その立場が強固であることを示すシーンも多く見受けられました。

 

差別反対!とか、こういう社会をなくしていこうとかいう思想レベルのものではなく、よく題材にされる被差別当事者の悲しみとかでもない。

悲しみが怒りと憎しみに昇華するものでは確かにあるけれど、悲しみを通り越した先にある感情が見ていると伝わってくるんです。

 

実際問題、ライアン・マーフィー自体はゲイをカミングアウトしていて男性パートナーと結婚しているようですがそちらを描くうえでの悲壮感のようなものは今まであまり感じたことがなく、『POSE』では当時のエイズ問題などが描かれていて辛いことも多いのですが、どの作品でも力強さを感じます。

当然社会的に差別はされているけれども、そこを重点的に描くつもりはない気がしていて。

 

彼自身が、白人男性であるにもかかわらずなぜそのような思考に至っているのか非常に興味があるのですが、『ダーマー』でもそれがものすごく色濃く描かれていました。

 

ジェフリー・ダーマー自身が白人男性で、黒人男性やアジア人がターゲットになっており、白人男性の犯行だったため発見が遅れたという風に描かれているシーンが何度も繰り返し出てきていたし、実際そういう差別的な問題が浮き彫りになった事件でもあったため題材に選ばれたのかなとすらと思いました。

 

あと、ジェフリーの父、ライオネルの言動には見ていて吐きそうになるぐらいの嫌悪感を覚えました。

 

一番衝撃だったのは、十代だったジェフリーを妻が置いて家を出て自分も愛人とホテル住まいをしていて何か月も放置していたのに全て妻のせいにし、自分の責任を微塵も感じていなかったうえ、息子の話を聞く姿勢はゼロでした。

そこのシーンの絶望感は絶対的でその後、何度いいシーンが出てきても彼に対する評価は覆ることはなく最後までいってしまいましたが意図的に評価が覆らないように描かれていた気もする。

 

母親もネグレクト気味で最終的には父と罪の擦り付け合いをしていたのでどっちもどっちだったのですが、父親は息子に愛情を持っていなかったわけではなかったという部分が逆にしんどかったですね。

シリアル・キラーの家族として生きるというのはここまで私生活をさらけ出されなければならないものなのかという思いもあり観ていて非常に複雑ではありました。

 

白人男性警官二人組については最後の最後まで観ているものの神経を逆なでするような演出で描かれていて、労働階級である黒人女性の訴えを聞かなかったために被害者を次々生み出してしまった罪というのも大きな主題だったと思います。

 

あと、これは個人的に海外ドラマを観ていて非常に文化の違いを感じる部分に宗教観があって。

 

特にアメリカの作品に多い気がするんですけどとにかく【許し】ということに対して非常に重要な部分を占めており、非のあるほうが自分の罪悪感に苦しめられて言わなくてもいいことを言って許されようとしたり、当事者と関係ないところで許すの許さないのというやり取りが繰り広げられていたりするのですがこのドラマでは物語の最後に宗教的なことが出てきて、またわたしをもやもやさせてくれました。

 

世の中には許せることと許せないことがあって、憎しみの気持ちからどうしても許せない気持ちになる人がいるのが当然だと思うんです。

でも、許せないことや許せない自分に辛さをもってしまうのも人間だし、憎しみの気持ちを手放せたら楽なのもわかるけど、それができないから苦しいんじゃないですか。

 

そしてこちらが許さないということをわかって生きてほしいとわたしは思ってしまうんです。

 

例えば自分の人生を壊した相手とかにはそのぐらい強い憎しみをもってしまう。

 

けど、そこに第三者が現れてわたしじゃない人がその憎い相手を許してしまうのが宗教なんですよね。

そしてその相手は「自分は許された人間です」って生きていくっていう。

 

今回のドラマでは、そんなの許されるはずがないっていう結末だったけれど、許す許さないに第三者が現れるルールにはどうしても納得がいかないです。

 

そもそもこの世のすべてのものを創り出した存在がいるのならば、創り出したものが責任をおわず、すべてを許しますなんて欺瞞すぎると辛い事件を見るたびに思ってしまいます。

 

そういう不条理さを常に感じながら感情も色々な方向にぶれながらの視聴となりました。

 

観た人それぞれに違う感想を抱いたと思いますが、わたしは非常に観るのにエネルギーが必要なドラマでした。

 

SNSやスマホ、監視カメラがある今の時代なら絶対無理な犯罪なのに、人の無関心や差別心がこのような悲劇を生み出してしまったと思うと非常に心が痛むし、感想も何を書いていいのかわからずとっ散らかった内容になってしまいすみませんでした。

 

最後、劇中にも登場したライオネルの著書を貼っておきます。

どれだけ自己弁護をしているのか、読みたい気も少しします。

でも胸糞な気がするのでやめておこうかな。

 

 

<広告>