この数年ずっとアニメを見続けていたのに、なんとなく、
「長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった!!」
の炭治郎名言が1人歩きしていて(わたしの中で)、
「今時、長男だからとかありえない・・・かわいそう」
って長子で割りを喰ったわたしは思っており、なんとなく観る気になれずにいた『鬼滅の刃』ですが、社会現象にもなったアニメということで周りにファンはもちろんそれなりにたくさんいました。
そのため、観たことはなかったのですが様々な事前情報は仕入れており、話題にははついていけるぐらいの感じではあったので、満足していたんです。
ほら、知らない人に話すほうは楽しいじゃないですか!
なので、情報はたくさん入るし聞くわたしも知らないことを知るのは楽しいので、どんどんいろんな情報が入ってきていたわけです。
完全な、win-winでした。
そんな日々を送る中『鬼滅の刃』を見ずしてこの二年ぐらいずっと様々なアニメを見続けていました。
先日地上波で放送されていた『鬼滅の刃』総集編がたまたまザッピングしたときに目に入って(ヒロアカの死柄木の声の人がまたヴィランやってる・・・)って思ったまま、途中からだったにもかかわらず最後まで観ちゃったんですよね。
何もわからないまま、変な予想しながら見るのすごい楽しかったです!!(笑)
一番盛り上がったのは「ねずこはどこ?」っていう疑問がなかなか解消しなかったあたり。
珍予想が次々飛び出して面白かったんです。
それで、それを見た後に、ねずこの謎などの話を補完するために1話から見始めて、明日(9/25(土)の劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』)の放送前に観ておかないといけないと思ってハイペースで全部観てしまったんですよ。
最悪、間に合わなくても偶然放送されていたときのように、珍予想しながら観ればいいか! と思っていたのですが、予想に反して全26話しかなく、海外ドラマ一気見で鍛えた身にはアニメの26回分は余裕すぎた・・・。
時間が余ってしまった。
『僕のヒーローアカデミア』は観ても観ても終わらないと思っていたのでそのイメージが強く、知名度的にも盛り上がり的にも最低でも倍はあると思っていたのでしくりました。
調べたところ、それぞれのの話数はたいしてなかったのですが、しかしヒロアカは5期まであったのですよね。
まだ1期しかないんですもんね、鬼滅は。
5期ぐらい出来上がってから見ればよかったのかな(笑)
というわけで、再度申し上げますが時間が余ってしまったので今更ながら鬼滅デビューしたわたしの『鬼滅の刃』の感想を、劇場版のノーカット放送を目前にしたタイミングで書いていきたいと思います。
ちなみにコミックは一切読んでおりませんが、結末はファンからだいたいのことは聞いており半ネタバレした状態です。
<広告>
作画、めちゃくちゃお金かかってる。
ほんと、これすごいね!!!
びっくりした、びっくりした。
この作画がすごいっていう一点だけでも見た価値があった。
背景、建物、鬼の書き込み、人物の細かいところまで。
大正時代という、和洋混在の時代設定のちょっとしたSF感ここまで出せるんだ、すごいってなりました。
ジブリなみの色の使い方してない?っていう色の使い方に、
モーションキャプチャのCG使ってるの? っていう素晴らしいアクションシーンは圧巻。
終始見ごたえのある画面。
低予算アニメの
作画崩壊を数々観た身としては、札束の力をものすごく感じました。
ちなみに、今までで一番お金ないのに頑張ったんだなって胸が痛くなったアニメは、モブに顔がないどころか全く着色がなく、かろうじて顔はありましたが主人公以外の人物がすべて真っ白だったアニメです。演出というにはあまりにも無理がある無着色だったため、現場の悲壮感を思って切ない思いでした。
しかし、そんな悲しいことは1ミリも感じさせない素晴らしい引き込まれる美の画面。
そして、原作者さんの人体の描き方?本当に昔の人の人体みたいなんですよね。
丹治郎とかも肩幅ががっちりしていて、下半身がしっかりしていて足が短いというか。
走っている姿とかも、人体だなって思う。
むしろ三次元の俳優さんで顔が小さくて首が長くて、手足が長い細身の人が時代劇やってんのなんかおかしい気がしてきてたぐらい。
もこもこした服着てるからわかりにくいけど、山で力仕事してたらこうなるよなっていう体型だよね、炭治郎。
アニメなのでもちろん多少はあるけれども、変なデフォルメがそんなにはないバランスのいい人体にものすごく感動しました。
わたし、漫画も読むの好きなんですけど、人体のバランスが違和感のある絵が本当にダメなんですよ、そこだけはこだわりなんです。
逆に人体のバランスがいいとすごい評価あがるので(笑)
この作画がジャンプアニメの基準になってしまったキッズに照準を合わせなくてはいけなくなったアニメ業界は大変だよ、本当に。
子どもこれ本当に大丈夫なの?って思ってました。
って思ったけど、炭治郎のお兄ちゃん教育でチャラなんだよなー、きっと(?)。
ヒーローものとして考えれば丹治郎は完全無欠だもん。
平安時代の古典のような切なさのあるストーリー
アニメを見ながら炭治郎は、修行僧みたいだなーと思っていたんですよね。
旅(じゃないけど)をしながら成仏できてない悪さをする霊(じゃないけど)を、心の美しさで浄化していく感じが古典的に感じて、残酷ななかにも切なさや物語としての美しさを感じる。
子供向けの教育的指導だけではない、人が思いに囚われてがんじがらめになってしまい苦しんだ末に鬼としてして生きていけない自分を解き放ってくれる存在としての鬼殺隊。炭治郎にいたっては、自分が殺した鬼のことを一生弔って背負って生きていくような雰囲気を感じたわけです。
わたしが初めてちゃんと見た鬼滅は蜘蛛の鬼の回でしたが、総集編になるぐらいのため人気があるようですね。
きちんとした家庭の子だったのにDV家庭を作ってしまった子供の鬼。
丹治郎の言う通り他人でも絆は作れたはずなのに、人とコミュニケーションをしてこなかったことでその方法がわからなかった悲しい子供。
あれはあれでとても切ない物語なのですが、個人的には書生が
パトロンに対する恨みで鼓を持った鬼となってしまった。その人と丹治郎が戦ったシーンのクライマックスがアニメ一期では一番ぐっときました。
炭治郎が原稿を踏まなかったシーンが印象的で。
ふんわりと紙と紙の隙間に足をおろした瞬間、ちょっと泣きそうになってしまった。
原作者もヒット作を生み出すまでの間にあの書生のように罵倒されたことも一度や二度じゃないと思うんですよね。
魂を削って書いた原稿を踏みにつけにされることは鬼となるほどの苦しみだと、人の大切なものを土足で踏みにじってはいけないという強烈なメッセージ。
そして、人の大切な物を大切に思うことで救われる心があるということ。
なんて澄んでいて、そして美しいのだろうと思いました。
次に生まれ変わったときは鬼とならないような未来を祈られながら、修羅の道を終えられるなんて鬼を羨ましいとすら思いました。
罪は許されなかったとしても、誰かに死を悲しんでもらえる人生は御の字です。
他人の死や悲しみを心から悼むことのできる人の心は人の心を癒す。
炭治郎の振り切った心の清らかさは本当に清々しくて嫌な感じがしない。
家族が殺され禰豆子を鬼にした恨みで無残に対決を挑むような展開ではなくて、無残の苦しみを解き放つようなラストに向かっていくのだろうなと思います。
鬼になって苦しむ人、鬼に苦しめられる人を根絶して、鬼殺隊がない世の中に。
おそらく、禰豆子を人間に戻すには無残を消す一択のラストだと思っています(笑)
そこはまだネタバレしてないんです、聞いてないの。セーフだった。
そういう恨みに任せて倒しに行くのは、この作品の本質ではない気がするので炭治郎のキャ
ラクターはブレずにこのままいってほしいと思います。
女の子に笑顔と優しさを振りまいて、無自覚に次々と初恋を奪っていくのはどうかとは思いましたが(笑)
炭治郎に幸あれ。
無限列車編&遊郭編、すごく楽しみにしています
アニメ一期は、26話かけての壮大な序章だったという感じでした。
不満点は何点かあり、その最大が善逸のキャ
ラクターです。
善逸(と伊之助)がうるさすぎて途中挫折しそうになったのを何とか乗り切って完走しましたが、ほんとうにつらかった(笑)
事前に
仕入ていた炭治郎のセリフの多さは思ったほど気にならなかったけど、冒頭でお話した「俺は長男だから~」のセリフはもっとなんていうか悲壮感のある涙ながらセリフだと思っていたけど違ったし、自分の境遇を卑下しているというより、どちらかというと鼓舞しているだけで
次男でも我慢していたから問題ない。
むしろ「骨も折れているけど心も折れている!!」を日常使いしていきたいほど気に入ってる(笑)
コミックが原作のアニメでありがちな点で難しいところだと思うのですが、
漫画は静止絵なのでモノローグで説明文や心の声や擬音を入れたりしているところを、アニメだと全部声でのセリフになってしまう。
視覚が圧倒的に優位で脳内でいろいろこのシーンの色や音などを想像して自分の好きなように調整できるコミックと、視覚と聴覚に振り分けられる分、想像力が削られるアニメとでは楽しみ方が全然違うんですよね。
文字で、
「ギャー!!!!!」
と書いたところで、読んでる段階では無音ですもん。
わたしは文章が声で聞こえるタイプなので、書いているこの状態ですら自分の文章の音声が脳内には音読で流れていますが、音量は調整できるし(笑)
”うるさい感じがする”のと”うるさい”のでは、全然違うからそこはもっとアニメへの慣れが必要な部分かなと思いましたし、アニメ化するにあたっての課題なのかなーとも思いました。
それと、コミック勢にしてはまだ序盤なアニメ部分だと思いますが、もっと登場人物同士の絡みがあるのかなーと思ったらそうでもなかった。
炭治郎と善逸と伊之助はそれでも三人でいる機会も多かったからあれだけど「優しい音がする」とか「怒りの匂いがする」などという主観的な部分での相手の印象にとどまっており、柱も9人もいるけど名前も覚えられていない人がいるなかで、ちょっと会議やっただけでさくっと紹介が終わってしまったので残念だった。
今の段階では、鬼なので死なないとわかっているとはいえ禰豆子を刺した柱は許さんと思っている。
なにはともあれ、炭治郎は自分の子どもが推していたら「ちゃんと成長している」と涙をながすぐらいの好青年であり、純度100%なので大人のわたしが見るには眩しすぎる主人公でしたが、欠点がないところが欠点といえなくもないのかなー(笑)
とにかく応援しています。
1期のラストの
遊郭の舞台は、映画『CUBE』を観た時のような不思議さと不安感があり、非常に魅惑的でした。
わたしは
遊郭物も大好きで、本もけっこう嗜んでいますのでどう描かれるのか非常に楽しみです。
ところで『CUBE』は日本版もやるみたいですねー。
ひとまず無限列車はリアタイで観てツイートなどをしながら楽しんでいけたらと思います。
思っていたより禰豆子がかわいくて気に入っているし、アクションもかっこいいので活躍するといいなー。
珍予想しながら見ていた総集編の疑問も回収できてよかったです(笑)
それでは、また!
※ ↓ いろんなアレンジが劇中に流れていて興味深かった。