このたび、配信を待ってようやく『ミッドサマー』を観た。
ディレクターズカット版ではない通常版だが、それでも2時間半ほどある。
それでなくても少ない休みの1人の貴重な余暇時間を、この映画に費やしてしまったことは果たして正解だったのかどうか甚だ疑問ではあるし、積極的には人には勧めない。
視聴を迷っている方は自己責任でお願いしたいと思う。
グロテスクな表現やモザイクがかかるような表現が苦手な人はやめたほうがいい。
この映画の話をする前にわたし個人の『ミッドサマー』を観るうえでの素地を少しお話したい。
ブログでも何度か言及してるが、カルトやマルチ、陰謀論、似非医療、スピリチュアルに過剰にハマる人の心理に興味があり、そういうドキュメンタリーをよく観たり、本などを普段から読んだりしている。
今世では無理だったが、次生まれ変わったときはそういう研究職につきたいぐらい興味があるため、おそらく世間一般のそういうことに興味のない人よりは『ミッドサマー』的なことへの耐性はあるほうだ。
そういったものにハマるきっかけはなんだったのかこのたび改めて考えてみると、地下鉄で毒ガスを撒き、たくさんの被害者を出した白装束の宗教団体が毎日のようにテレビを賑わせていた頃から興味がそちらに向いた気がする。
そこまで親しくもないが、喋る程度の間柄の知人が該当地下鉄にニアミスしていて、運が悪ければ被害に巻き込まれてもおかしくない状態だった。
都会の事件は対岸の火事だった地方の小娘にとっては、その事件を一気に身近に感じさせた出来事だった。
当時思春期のわたしには、事件自体も含めてそれらのことはかなりの衝撃で、今でも当時の毎日の報道のテレビ映像を鮮明に思い出せる。某村での集団生活や、高学歴の大人たち(当時のわたしから見て)が見るからに怪しい髪の毛の長い声の高いおじさんを崇めていて、さらには教団の幹部は高学歴な頭脳を殺人兵器に使っていたり、そのおじさんのために人を殺したりしていたという事実は、家庭環境に恵まれなかったわたしにとってはかなり興味深いことだった。
子どもを高学歴にするには親の努力も不可欠だ。
愛情はともかく少なくとも経済力という手はかけられているはずだった。
涙ながらに教団から子どもを奪還しようとする親御さんも見た。
この人たちは一体、何が不満なのか。
勉強ができるのに、なぜこのおじさんの嘘がわからないのか。
洗脳とは、宗教とはどういうものなのか。
本当に人の救いになるのか。
その後、いろいろと自ら情報を追っていった結果、どのカルトドキュメンタリーもどの本も実録記もだいたい結論は同じ。
カルトもマルチも情報商材も似非医療も、スーパーフードも手口はだいたい同じで、時代によってなんとなく新しいものが来た感じがするだけで、中身は大差ないため追っているとどれも同じようなものをずっと見続けることになる。
勧誘者は、その人が持っている心の闇や承認欲求をうまく利用する。
そして、人は自分が信じたものを否定できない生き物だ。
自分の間違いを認めることよりも、他人の言うことを信じて方向性を決めてもらうことのほうがはるかに簡単だ。
わたしが色々追っている中でも、ほとんど見ている人がおらず、当ブログでもかなり真剣にレビューを書いたのに全く読まれていないカルト宗教を題材にしたアーロン・ポールとヒュー・ダンシーのドラマ『THE PATH』は、宗教二世の生きざまも含めて、カルトの怖さや宗教に生きる人々の悲哀をとてもよく取材しており、闇が集約された良ドラマだったのだが、人気がなさすぎてhuluプレミアだったのに日本のhuluではしまいに配信を取りやめてしまった。
現在Amazonで有料配信されているようだが、値段が高い。
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海外では割と評判が高かったようだが、宗教事態が身近ではない日本ではあまり興味を惹かれる人がいなかったのかもしれない。
そういったカルト系に興味のあるわたしが『ミッドサマー』を観た感想をお届けしたいと思う。
ネタバレはしないつもりで、抽象的な感想にとどめておきたいと思う。
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『ミッドサマー』は、家庭環境に難ありの情緒不安定大学生ダニ(フローレンス・ピュー)が、家庭の事情で心に傷を負い、恋人であるクリスチャン(名前)の男友達グループの夏のスウェーデン旅行に参加することで巻き起こる出来事を描いた作品だ。
スウェーデンの郊外の目的地のその町はグループの一人の男子のペレの故郷であり、独特な文化を築いて暮らしている集落だった。
その集落の90年に一度のお祭りに参加することがグループの目的であったが、一行は今まで目にしたことのない【祭り】の行事を次々と目にすることになる・・・。
というストーリーで、宗教団体かどうかは定かではないが古くから伝わる経典に基づき独特の暮らしをしている人達を描いている。
宗教団体やそういう組織の強力な魅力は【思想や風習に逆らわなければ存在を無条件に認められ、居場所を与えられる】ということにある。
その代償として、思想や風習に逆らうことは許されない。
自分には帰る家がない、居場所がないと思っている人を優しく受けいれてくれる。
いったん得た居場所を手放すことは容易ではない。
馴染んでしまえば、社会のほうが”異質”な人々たちだ。
『ミッドサマー』を観ている人たちのだいたいは「何を見させされているのかわからない」と思って観ていたと思う。わたしもその一人。
しかし、画面の向こうの人たちからみると異質なのは確実にこちら側である。
むしろ、わたしたちは不幸だと思われている。
確かに日々に不満はあるし、悩みは尽きない。
よく道で「幸せですか?」と聞かれる勧誘の常套句があるが、不幸ではないが幸せいっぱいというわけでもない。
大体の人はそうだと思う。
でも、画面の向こう側の人たちはは幸せですか?と聞かれたら「幸せです!」と即答する。
組織のルールにのっとってさえいれば、法に触れても誰も咎めない。
観ている人たちの中にも、あの祭りに参加したいと思った人がいると思う。
常識とはなんなのか、幸せとはなんなのか。
自分の根底を試される作品だと思う。
あちらとこちらも紙一重だ。
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