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【本】冤罪事件のノンフィクション『殺人犯はそこにいる』/清水 潔 読了 この世に因果応報などという都合のいい話はない。

その日、わたしと家族は車に乗っていてとある場所に向かって首都高の渋滞にハマっていた。

 

ゆっくりと進む道すがらで、まず、一台目の護送車が視界に入る。

そしてちょっと進んだ先で二台目の護送車。

 

パトカー、そして護送車、護送車、護送車と10台近くの護送車を見掛けた。

渋滞でゆっくり進む車。

金網の網目越しに乗っている人の顔がうっすらと見える。

 

全員なにかしらの罪を犯した人なのだろうか、と思う。

 

今読んでいる本が冤罪事件を扱ったノンフィクションだったため、護送車に乗っている人の人生に思いを馳せる。

 

「どんな事情でこの車に乗ることになったんだろう、今、一体何を考えているのだろう」

 

そのことがきっかけで楽しいレジャーに行く途中、本の内容をぽつりぽつり話すうちに冤罪事件のこと、冤罪を作ってしまった人たちのことを話しあうことになってしまった。

 

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今回紹介する作品は、実際にあった冤罪事件の通称『足利事件』を追った一記者によるノンフィクション作品です。

 

10年前の2013年に出版されその後2016年に文庫本が出されています。

 

今30年の日本経済の停滞による色々な弊害が取りざたされていますが、報道事情も何も変わっていないどころか悪化している気すらしました。

 

ジャーナリスト目線で見た権力者の理不尽さがこれでもかと描かれている。

 

昨年、フジテレビで放送された『エルピス』の参考資料としても採用されていたようで、ドラマを彷彿とさせる内容です。

 

ドラマの第一話を観た時にまっさきにこの本のことだなと思いました。

 

ドラマにかなり近い内容で『エルピス』の松本さんのモデルはこちらの事件の方ではないかと思います。(※個人の見解です)

 

わたしはもともと、『エルピス』を観る前(多分今から三~四年年前ぐらい)に本屋でうろちょろしているときに斬新なブックカバーの装丁がついててジャケ買いしていた作品でした。

 

そのブックカバーは紙だったため持ち歩きが理由でボロボロになってしまってなくしてしまったのですが、検索したら出てきました。

 

【文庫X】という企画だったようです。

 

そうそう、この手書きの文字だった。

これに惹かれて買ったんだった。

 

とこのジャケットを見かけた時の情景が鮮明によみがえりました。

 

活字がたくさん並ぶ本の中、手書きの文字と白黒のブックカバーが目に入って思わずその文面と熱量に引き込まれてしまって手に取ってレジに持っていってしまった。

 

「そんなに言うんだったら読んでみたい」と素直に思いました。

 

日頃【〇×大賞】や【ラスト5ページで大号泣】などの本は読まないようにしているのですが、これはものすごく気になってしまって。

 

もう出会いですね。

 

わたしも日ごろから【作品を勧める者】では少なからずあるので、こんなに簡潔に人を引き込む文才と熱量に心を持っていかれたのかもしれません。

 

www.shinchosha.co.jp

 

そしてその装丁で名前を伏せられて売られていた本が下記の『殺人犯はそこにいる』です。

 

今回『エルピス』を見終えての二回目の読了になります。

 

 

 

わたしがここに感想を書くよりも、上記の手書きの文字のほうが興味をそそられるのでわざわざ紹介する必要もないような気もしますが、全部読んでみた感想としてはおおむね紹介の内容に共感しますし、本当にその通りだと思います。

 

しかし、わたしとは若干視点がずれています。

 

たぶんこの紹介文を書いたのは比較的若い方かなぁと思います。

文章に溢れる若さを感じます。

稚拙という意味では全然ないです。

文章と文字に希望が溢れていて眩しさを感じるからです。

文章にあふれる生命力というか。

人生がこれからの感じがすごくします。

 

でも、わたしがこちらの作品を読みながら感じていたのは圧倒的な”絶望感”でした。

 

人は自分を守るためならなんでもする。

 

そして、見ず知らずの目立たずひっそりと生きている人たちの人生なんか壊れても構わないという人達が存在している。

しかも、たぶん社会が思っているよりもその数は断然多いマジョリティーなのかもしれないことが明確になっていくことが、絶望であり恐怖でした。

 

わたしも権力をもってしまったらたぶんああなるのではないかと思ったし、見ず知らずの人が生贄になってくれるならほっとして、そのうち生贄になってくれた人の顔やそんなこともあったことも忘れて、日々をそれなりに楽しく暮らしていくのだろう。

そういう自分の中の負の側面にうっすら気づいていながらも、改めてはっきりとそういう意識を持っていることを突き付けられた。

 

今は権力を持っていないからそうしてないだけだと。

 

そして、権力者たちも悪意でやっている分には救いがあると思うのですが、この冤罪事件を作り上げて他人の人生を壊した人たちから感じるのは「自分は悪くない」という確固たる他責感です。

 

自白を脅しや拷問に近い形で強要しておきながら「やってないなら自白なんてしなきゃいい」と嘲笑し、「あいつが罪を認めるからこうなったんだ」とめんどくさがり、いったん仕事を離れれば何不自由なく暮らし、家族と笑ってクリスマスやお正月を迎えて、自分の子どもが結婚して涙を流したり、孫の誕生に喜んだりしている。

家族が理不尽な目に遭えば全力で怒りサポートする人たち。

 

「ジャーナリストがよってたかって有罪の犯人を無罪にしただけで、自分(警察、検察、科学者)たちは何一つ間違ってなかったんだ」

 

という自信を持って暮らしているし、市井の人たちの中には無罪になった後でも無罪ではなかったと思う人も一定数いる。

 

「間違ったほうも、罪悪感をもってしまうと辛くて生きていけない。自分を守るための防衛本能だ。うっすらと罪悪感は感じているはずだ」

 

と、わたしの家族は言いました。

 

確かにそういう人も居るとは思うけれど、そうだろうか。

割合としては少ないのでは? とわたしは個人的には思っていて。

少しでも罪悪感を持つような集団で構成されていたら、こんなことにはなっていない。

絶対に良心の呵責に苛まれて、群れを外れた行動をとる人が居ると思う。

 

冤罪で17年間刑務所暮らしになった本作品の方は、親の死に目にも会えずに泣いていました。

 

ですが、この作品に登場している無実の方は、冤罪を証明してくれる人がいて本当に運がよかったとも思いました。

作品にはもっと絶望する事案も登場していて。

 

自分もいつ、生贄に指名されるかわからない。

こんな不安な世の中の中、わたしは世間に対抗できるものを何も持っていない。

 

そしていったんスケープゴートに指名されてしまったらあらゆる力であることないことレッテルを貼られ、なんの後ろ盾もなく為すすべもないんだろうというところまで想像しました。

 

家庭環境、仕事、属性など。

自分自身社会的に蔑まれる要素は山ほどあるし、だれもわたしの話を信じないんだろうなと。

 

読む人の立場や環境によって感想が左右されるのは本の常だと思うのですが、こちらの作品に書かれていることは、フィクションでなんかではなく実際にあった話だと思うと重くて本当に胸に刺さりました。

 

登場人物全員が、実際に存在しているっていうのが本当に怖かった。

 

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法を学び正義を夢見て検察官になった人

犯罪を世からなくしたいと強い意志で警察官を選んだ人

真実を世に広めたいと報道の道を選んだ人

 

という、冤罪から一見かけ離れた思いを持つ人たちの集団が冤罪を生んでしまった今回の事案ですが、逆に冤罪に対しての恐怖心から冤罪を認められなかった悲劇とも思えます。

冤罪かもしれないとわかった時点での保身ぶりは、一人の人の人生を現在進行形で台無しにしているとは思えないほどのひどいものです。

 

自分が冤罪を起こすわけはないという思い込み。

日々犯罪に接しているからこその一般人との犯罪に対しての意識の軽さ。

 

 

わたしの好きな曲の歌詞で、

 

因果応報はなく 全ては塞翁が馬である

何年経っても いじめっこの君は 幸せそうだった

 

というのがあって。

 

年をとってくると本当に【因果応報はなく 全ては塞翁が馬である】が身に染みてきます。

 

わたしが本作を読みながら一番許せないと思っていたのは「人の人生をめちゃくちゃにした人たちが社会的には罰せられない」ことでした。

 

覚えのない罪で裁判に引っ張りまわされ身に覚えのない証拠をつきつけた人は、いろんな人に賞賛されて、賞を受けたり承認欲求も満たされ全能感に溢れていたと思います。

 

1人の犠牲のもとにたくさんの人の人生が光り輝いた。

 

そして、間違いだったことが判明してもその当事者が本人に謝罪すらしない。

なぜこのようなことが許されるのかということでした。

 

なぜ、わたしが因果応報がないことが許せないかというとわたし自身の過去によるものす。

 

いじめの被害に遭った人は同じ気持ちだと思います。

これはいじめだと思いながら読んでました。

 

無実の人を凶悪犯罪者として捕らえたのはともかく、よってたかって有罪にしたとしか思えない事実。

被害者家族に弁明もしない。

 

今でも苦しむ被害者家族がいます。

 

その一方では、幸せな家庭を築いて何不自由なく暮らす人たち。

家族からは愛されてもいる。

 

その理不尽さに絶望します。

 

過ちを認めなくていい人たちが、社会には確実に存在しています。

 

そして「権力者は罪を償わない」ことを許容してしまっている、自分自身を含む社会の傍観者たちにもその責任があると思いました。

 

社会人として生きてると「謝ったら死ぬ」と思っている人によく遭遇しますが、被害女児の母が検察に言ったこの言葉「ごめんなさい、が言えなくてどうするの」というセリフでした。

 

この言葉の重みを今一度たくさんの人たちが胸に刻んでくれるといいなと願ってやみません。

 

自分がやってない罪で捕まったら。

そして、自分の家族や配偶者が冤罪を生み出した側の人だったら。

この本に登場しているあの人だったら…。

 

これから本を読む方には、ぜひ自分が当事者だと思って読んでほしいと思います。

 

繰り返しになってしまいますが、この作品はフィクションではなく、ノンフィクションで全員実在している人物だからです。

 

そしてリアルな現実を受け止めてほしいです。

 

何を書くのが正解なのかわからなくて散文になってしまったことをお許しください。

 

最後にもしよかったら、本作品と似たところがかなりあるドラマ『エルピス』を紹介した記事を貼って終わりにしたいと思います。

 

手前みそですが、お題企画で賞を頂いた記事です。

 

www.meganetamago.com

 

 

それでは、また。

 

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