たま欄

※当サイトの企業リンクはアフィリエイトを使用しております

【本】Aではない君と/薬丸岳 感想 わたしは作者と意見が決裂しました。ラストに納得がいきませんでした。

こちらの作品のひとつ前に読んだ本友罪が非常に興味深かったので同じ作者さんの友罪の次に出版された作品を読んでみました。

友罪は、一言でいうとあなたの身近な人が凶悪犯罪者かもしれない・・という少年犯罪をテーマにした内容のフィクションの小説です。

(【友罪】の詳しいレビューはこちら)

 

そして今回の【Aではない君と】は、建設会社のサラリーマンの主人公の元に、突然元妻が引き取った中学生の息子が同級生の死体遺棄容疑で逮捕されたという連絡が来る・・というところから話が展開します。

 

Aではない君と (講談社文庫)

Aではない君と (講談社文庫)

 

 

この作品も前作と同じく少年犯罪に焦点が当てられた作品ですが、自分の子どもが犯した罪だけじゃなくても、家族がいる限り誰しもある日突然『加害者の身内』になるリスクはあると思います。

実は友罪はけっこうさくさく読み進められたのですが、この『Aではない君と』は途中で読むのが辛くなり、休み休み読んでいたので読み終えるまでにかなり時間がかかってしまいました。

友罪は、加害者当事者やその身内ではなく、過去に犯罪を犯したかもしれない人の周りにいる全くの他人が主人公だったのに対し、こちらの作品は、加害当事者の親が主人公だったため、読んでいるこちらにも当事者意識が出てしまい、辛さが身に染みたからです。逆に、そこまで感情移入してしまうリアルさがあったともいえます。

突然、自分の実子がトップニュースやワイドショーで日々報道されるような罪を犯してしまったらという遠い世界のようでいて、身近でもあるような題材。

そうなってしまった時に、身に降りかかる様々なトラブルや主人公である少年の父親の葛藤する思いが次から次へと出てきます。

基本的には主人公は子を心から愛する親であり、結婚に失敗し離婚したという過去はありますが、ごくごく普通の社会人として生活していて人格的にも特に問題は見られなく、主人公の心にあまり人間的な闇が見られないという点では加害者の親として出来すぎているという風にも思えましたが、そこはデリケートな題材でもあり仕方のない部分もあったのだと思います。

 

前半は父親が加害少年と向き合う葛藤が描かれ、加害者の親として社会人で生活する生きにくさも描かれますが、後半話が急に展開して流れが変わります。

加害者少年の感情が出てくるにつれ、あらわになる新事実。

ここからは更に主人公が親としての難しさに直面することになります。

 

最終的には、タイトル通り、主人公が少年に放つ最終的な結論の言葉にわたしは納得がいきませんでした。

なんかもやもやするんです。本当にそうなのか? と疑問が残ります。

子に色々なことを伝えるのは本当に難しいですが、そういう結論づけで本当にいいのだろうかと思いました。

 

※ネタバレなしの感想をまとめたあとに、納得できなかった理由をネタバレありで最後にまとめますので、読んだことがある方と興味がある方は読んでみてください。

ただし、これからこの作品を読もうと思っている方は先入観が入ってしまうので読まないほうがいいと思われます。

 

というわけで、まとめ。

思春期の子育てを頑張っている親御さん、日々家事や仕事にいそしみ愛情深くわが子を育てていると思われますが、自分が子どもとどう向き合っているのか今一度振り返ってみるいい機会になる作品だと思いますので、手に取って是非読んでみてほしいです。

 

 

と、いうわけで以下、ネタバレします。

念のため、小文字で書きます。ネタバレ告知しましたよー。

 

↓ ↓ ↓ ネタバレします ネタバレします ↓ ↓

 

 

 

 

わたしがラストに納得できなかった理由。

この主人公の息子は、陰湿ないじめの被害に遭っていて、そのいじめグループのリーダーである同級生の少年を手にかけたということが、後半でわかります。

暴力まではないものの、かなり陰湿なもので動物好きの加害少年に、加害少年が大事に飼っていたペットや、ペットショップで買ってきた動物を殺させたりします。

片親なこともいじめのなかで被害少年は加害少年に執拗に責められます。

被害者少年にも心に傷があったうえでのいじめとはいえ、陰湿ないじめをしていい理由には当然なりません。

加害少年のセリフで「心を壊すことは罪に問われないのに、からだを壊すことは罪に問われるの? 心を壊すこととからだを壊すことはどっちが悪いの?」と主人公に詰め寄る展開があります。

加害少年も被害少年を手にかけたことを全く反省していなく悪いことだと思っていません。

心を壊すこととからだを壊すことの悪さは同レベルだという認識を持っています。しかも、動物をたくさん殺したのにそれは罪に問われなく、被害少年を殺した罪にだけ問われていることにも疑問を抱いています。動物の命は奪ってもいいのに、人間の命はなぜダメなのかと問うてきます。命の重さに優劣がつけられていることにも疑問を抱いているのです。

これを聞かれたとき、主人公は言葉に詰まり答えられないのですが、それから数年後、少年が少年院を出て数年、働き始めたりもしてある程度の年数が経って、被害少年の親に謝罪に出向くというときに、主人公が息子に向かって「こころを壊すことよりもからだを壊すほうが悪い」ときっぱり言うのです。その後、被害少年の親と加害少年は対面することになるのですが、息子がいじめをしていたことを被害少年の親は一切口にしなく謝罪はありませんでした。

理由としては、からだがなくなってしまえばたとえ相手に非があったとしても、そのことを間違いだと謝って罪を償ってはくれないし、からだを壊した相手を大事に思っている人のこころまで壊すから、という感じなのですが、これには疑問です。

人のこころを壊すこととからだを壊すことは、からだを壊すことのほうが圧倒的に悪いのでしょうか。

からだを壊してしまえば、法を犯す犯罪になり罪を償わねばなりません。それは当然のことだと思うのですが、しかし、法を犯してないからと言って他人のこころを壊すことは、時には刑事罰以上の罪になることだってあると思うのです。

そんなにきっぱりと言えるようなことなのか、わたしにはものすごく疑問に思いました。

こころを壊されたらその後一生壊れた心は治らないことだってある。

命を奪うことと同列になる例だって星の数ほど転がっています。

他人の命を奪う権利は誰にもないことは同意なのですが、かといって、はっきりと「こころを壊すことよりもからだを壊すことのほうが悪い」とは思えないのです。

話をまとめなきゃいけなかったので仕方なかったのかもしれませんが、なんとなく納得できない。いじめの被害に遭っていた件は加害少年は誰にも謝られていなく、加害少年の親だけが「気づいてあげられなくてごめん」と言っているのみです。【こころを壊すこと=からだを壊すこと】という風にまとめたほうがよかったと思うのです。自分も壊される辛さがわかっているので相手のことも壊してはいけないんだと。

 

↑ ↑ 以上ネタバレ終わり ↑ ↑

 

 

本当に、難しい問題なので個人個人で意見は違うとは思うのですが、そういったわけでわたしは、なんとなくもやもやしたラストでした。

でも、作品としては読む価値はあると思います。

他の方の感想も聞いてみたいです。

 

<スポンサーリンク>