『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.3』を急遽観てきました。
今ちょっと自分も家族も仕事忙しいし、自分自身にもちょっと身体的な不安要素とかいろいろあって検査結果待ちだったりと精神的にもバタバタしていて、まぁー、そうはいっても公開したばかりだし? MARVELの人気作だから割といいスクリーンでゆったり観られる落ち着いた頃に行けばいいか、とのんびりしてたんですよ。
そうはいっても普段の生活圏内にギリ7個ぐらいはシネコンあるし、いけるやろと思っていた。
でも、最近の日本での映画事情でね、そんな悠長なこと言ってられなかったんですよ・・・。
マリオとコナン。
ちょっと軽く上映スケジュール観たら、よくこんなに一日に上映できるなっていうぐらいマリオとコナン一色なんですよ。
数えたら、マリオはスクリーン何個か使って一日17回でしたよ?
コナンもそのぐらい。
まぁまぁ大きいスクリーンと、いい音響のある最寄り映画館で、ディズニーのミラベルの時はやってくれなかったけど、日本でもさすがにMARVELは大スクリーン割り当てられるだろうと思ってたんですね。
エンドゲームの時はやってくれたから。
でも、同じシネコンの大スクリーンもマリオかコナンを交代だった。
さらにはガーディアンズは一番小さいスクリーンでしか上映してないうえ、吹替の方が多く上映していて字幕で観ようと思ったらレイトショー無理だった。
仕事後に行けないじゃん・・・と思って、他の劇場観てみたらどこもそんな感じで(公開してまだ数日なのにこれ!?)と血の気がひきました。
そんなわけで、急遽行けそうなところを探して行ってきました。
字幕でそこそこの大スクリーンで観られてよかったー、本当に。
心残りは、全身集めに集めたMARVELファッションで行けなかったことだよ!
初回はロケットのTシャツを着ていく予定だったのに!(涙)
と、突然ですがここでわたしとガーディアンズの歴史を振り返ってみましょう。
2017年に『美女と野獣』の予告でベビーグルートに一目ぼれしてマーベル沼に足をつっこんで6年。
過去に【ガーディアンズ】とブログに書くこと62記事。
実に1000記事以上書き溜めてる記事の中で5.7%の記事で【ガーディアンズ】が登場しているというのは、わたしのガーディアンズに対する愛の強さを証明していると思う。
ガーディアンズと出会い、マーベル展、コミコン(×2回)、そしてコミコンではヨンドゥ役のマイケル・ルーカーと30センチの距離まで迫れたのはいい思い出。
集めたグッズやポスターも家にいるときはいつも見えるところに飾ってある。
わたしにとってガーディアンズはいつも特別な存在。
ありがとう、ガーディアンズ。
長い間お疲れさまでした。
というわけで、まだ観てなくてこれから観に行く予定の人はなるべく早めに行ったほうがいいです。
特に字幕派で、IMAXなどを希望している方は頑張ってください。
一部では公開継続すると思うけど『ブラックパンサー』ですら行ったことない映画館に行く羽目になったので。
日本の映画館のスタイルは年々変わってきています。
そして、下記には今回の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME3』に対してのネタバレ感想を語っていきたいと思う。
愛ゆえの感想ではあるのですが世間の声とは違う形になっているので、絶賛している記事を読みたい人は絶対に読まないでください。
では、ネタバレ感想していきます。
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今回の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME3』。
観てから数日経ってよくよく考えてみると、ストーリー的にも謎であった【ロケットの過去】に焦点があてられており、ガーディアンズとしてのまとめとしては最高であったと思う。
ベビグルに一目ぼれしたのがきっかけではあったが、観ているうちにガーディアンズ内での推しがネビュラとロケットになったわたしにとって、今回のVOLUME3に関しては涙なしには観られなかった。
ロケットの過去、そして新しい旅立ち。
さらには当初は敵同士であったネビュラとロケットが親友になり、さらには家族になっていた姿は最高の極みだった。
指パッチンでメンバーがほとんど消えた中、ロケットとネビュラの時間があったことはのちのちスピンオフにしてほしい。
そんなわけで映画内で一番感動したシーンは、起きてすぐにネビュラのことを口に出したロケットに対し、通信でロケットの声を聞きとり生還を確認したと優しい微笑みで返したネビュラのシーンである。
二人が遠く離れていたということも相まって最高のシーンであった。
今思い出しても心が温かくなる。
「ネビュラの幸せを見届けるまで死ねない」と思っていたわたしが、いつ死んでも大丈夫になった・・・という点においても、そして今回の映画では誰も死ななかった(メンバーが)という点に関しても文句なしのハッピーエンドだったと思う。
しかし、楽しかったかと問われれば、楽しくはなかった。
クライマックス前のロケットのくだりのダメージが大きくて後半楽しめなかったし、正直後半の楽しい部分はあまり覚えていない。
ロケットが酷い目に遭っているというのが耐えられなかったのはもちろんのこと、今回は悪役のハイ・エボリューショナリーが個人的にダメすぎた。
今までのマーベル映画の中の悪役のセオリー通り「自分の思う世界を作りたい悪役」というありきたりな設定ではあったが、わたし自身が【人間】以外のすべてのものが辛い目に遭っていることに耐えられないことがまず一つ。
【普通の人間】が殴り合ったり殺しあったりするのはだいたいは平気である。
弱いものいじめは無理なので、ある程度力が拮抗した血みどろや暴力性は許容できる。
虚無なときもある。
しかし、人間が動物、アンドロイド、ロボット、人外などを酷い目に遭わせるのは許容できない。
そしてハイ・エボリューショナリーの発言がDVやモラハラ、そして虐待する親そのものだったことが一番無理すぎた。
あとは、極端な優生思想が見ていて辛かった。
色々な宇宙人のいる世界線で、なぜ彼は人ではなく地球の小動物を進化させようとしたのか。
いくらでも架空の動物は作れたと思うし、そもそも人を進化させようとしなかったのかというのも腹が立っていたことの一つだった。
なので、犬(コスモ)が死ななかったことには本当に安堵した。
まさか、犬までと思って最後はかなりハラハラした。
ハイ・エボリューショナリーはロケットに対しても機嫌のいい時は、穏やかに話す口ぶりがひとたび機嫌が悪くなると急に存在自体を否定する罵詈雑言を浴びせかけ、ロケットが自分より賢い生き物になってしまったことに嫉妬する姿がリアルすぎた。
毒親の見本みたいだったし、恐怖で支配する支配者の悪役だった。
いじめの被害者や虐待、DVやモラハラに遇ったなどの経験がある人はけっこう今回の作品はきつかったんじゃないかと思う。
サノスぐらいまでは悪役の気持ちもわかる部分があったのだけど、クアントマニアにしても今回の悪役にしても度を越している。
ロケットも含めた、群れから一人離され改造された別の生き物になった【使い道のある】【実験の成功に近い】動物たちが薄暗い檻で肩を寄せ合って未来を語り、それを一瞬で壊された絶望は見るに堪えなかった。
ライラが撃たれた時の銃声がものすごく劇場に大音量で鳴り響き、自分自身もかなりビクッとしたため、それまでの辛さも相まって緊張の糸が切れて少しパニックになった。
まだ子供だったロケットが友達に「空さえも見せてあげられなかった」と気づいた時の悲しみを思って非常に辛かった。
さらに一人であの地獄から脱出した、まだまだ少年だったロケットが、グルートと組んでやさぐれた盗賊になったかと思うとその苦労もつらかったし、唯一の仲間で家族であった優しいグルートを失ったときの悲しみの涙を思って、翌朝布団で自分も泣いていたぐらいの辛さだった。
植木鉢にグルートの亡骸である枝を一本さして大事そうに抱えていた姿を次に観たら号泣必至である。
観なくても泣ける。
あと、もう一つ個人的に楽しくなかったシーンがある。
ハイ・エボリューショナリーの星、地球に似た星に降り立った時の話である。
豚のような顔の人たちが街で暮らしているところに巨大な船を着陸させ、それに驚く人が怪我をして、その人に助けてもらったのに怪我をさせたことを、ピーターは特に悪びれもせず(布は渡していたが)謝らなかったうえ車を勝手に使ったり、ドラックスに至ってはバイクを強奪。
おそらく、ハイ・エボリューショナリーの作った穏やかな人達が暮らしていた街なんだろうと思うと腹が立った。
その後、星自体が吹っ飛ぶことにはなったけどなんの罪もないカタギの市井の人に狼藉を働く姿を最後に見たくなかった。
元々荒くれものだったガーディアンズのメンバーだけど、色々あったなかでそういうのは卒業したと思っていた。
言葉も通じない知らない人たちに飲み物をだして親切にしようとしている人たちが無視されて星がふっとんだのも辛かった。
そういったことが重なってショックが大きかったため、後半のことをあまり覚えておらずアクションやガーディアンズならではの爽快さを初見では味わうことができなかったし、あまり覚えていない。
最後の最後でも「倒すのはちょっとかわいそう」「それで助けられる人がいる」ということで話が終わっており、誰かが助けられれば誰かが不幸になるということ、そういう覚悟をもって人助けをしたり生きてほしい、ということを表現したかったのかなとも思う。
ガーディアンズのメンバーがそれぞれ、第二の人生を歩みだし幸せをつかんでいるのは素直に喜ばしい。
「アライグマじゃない」と否定し続けていたロケットが、自分はあくまでアライグマだったと自覚したのも、ロケットのために良かったと思う。
違う世界線のガモーラがいるのであれば、ロケットという名を持たない北米のアライグマとしての一生をまっとうした一人のアライグマが居ることも願う。
そういったわけで後半の爽快だったシーンをほぼ覚えておらず、アクションなども堪能できなかった(大好きなグルートのこともあまり覚えていない)。
もう一度劇場に足を運んで今度は辛いシーンは薄目にして、楽しいシーンに注力したいと思う。
それでも、やっぱりガーディアンズが好きだ。
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