Netflix『sense8』シーズン1第5話『芸術は宗教のようなもの』感想です。
今、Amazon Exclusive『スタートアップ』というドラマと並行して『sense8』を視聴中なのですが、『スタートアップ』は意味不明な第1話から大化けして、シーズン後半泣くぐらいのドラマに発展してきました。
しかし、脳が完全に『sense8』寄りになっていて『スタートアップ』で、ピンチが訪れると(誰かが共鳴して助けてくれるから大丈夫だ)と、思ったあとに(あ、違ったわ・・(笑))ってことが、もう3回以上は確実にあるので、ドラマのちゃんぽんは、ほどほどにしないとダメだなと思っています(笑)
『スタートアップ』はシーズン1終わったら別途記事にしますね。
ところで、始まりました。
インド(ヒンドゥー教)の結婚式!
今回の原題【Art Is Like Religion】。
【Religion】とはズバリ宗教のことですが、宗教とは切ってもきれない関係にある海外ドラマです。
ヒンドゥー教についても色々調べたので言いたいことはありますが、バラモン教とか、カースト制度のことなどを言い出すと朝までかかってしまうので、ヒンドゥー教については信者は、インドとネパールに集中。
インドの人口が多いため、宗教人口は世界3位の10億人強程度(ちなみに仏教は4億人)。
神さまがたーーーーくさん居て、1人ではない。
有名なのは、シヴァ、ガネーシャ、釈迦など・・と少しにするつもりがやはり長くなってきてしまったので、ヒンドゥー教についての話はこのぐらいでやめておきます(笑)
それで、ここからは結婚式の話。
「始まりました!」と宣言しましたが、慣習的にインドの結婚式はそれはそれは盛大に行われ、かかる費用は年収の4倍とも言われています。
準備に1年かけるのは日本でもありそうなお話ですが、結婚式自体にかける日数も1日ではなく、短くて3日、長くて1週間程度。日取りは暦上の占いで決められるため、吉月、吉日に結婚式が集中します。
カーラも新郎側のお家と司祭的な人と式の相談の最中、花婿の父が結婚式に興味がない、もしくは結婚自体に反対しているのか、「とにかく時間を短くしたい」と訴えて、費用を釣り上げられていて(生臭坊主・・)とその時は思っていたのですが、『時間を短くされる=儀式の簡略化により当て込んでいたお布施が減る』ってことだなと妙に納得しました。それでも、生臭坊主にかわりはないですが(笑)
そういったわけで、ヒンドゥー教の決まった儀式は何個かありまして・・と、最初から書き始めたのですが文字数が膨大になってきたので、ザーッとデリート(笑)
今回のエピソードのラストシーンの儀式だけ説明することにしました(笑)
日本の結婚式でいえば、2人初めての共同作業ケーキ入刀(そもそもケーキ入刀のイベントは誰が考えたんだ?)みたいなものですかね。
司祭が灯した聖なる火の回りを新郎と新婦が一緒に周ります。
2人同時に7歩の歩みを進め、一つ一つの足踏みに今後の結婚生活の幸せと安泰の意味が込められます。
1歩目、お互いの繁栄を祈る。
2歩目、お互いが今より強く成長することを祈る。
3歩目、豊かさを祈る。
4歩目、2人が、喜びも悲しみを分かち合うことを誓う。
5歩目、両親や家族(主にこれから生まれてくる子ども)の幸せを祈る。
6歩目、 2人離れず、ずっと一緒にいることを誓う。
7歩目、一生涯の友人であることを誓う。
花婿は花嫁をリードしながら歩き、一周するごとに聖なる石を踏みしめて結婚生活が強固になるように祈る。花嫁が石を踏みしめている間に花婿は足の人差し指に指輪をはめる、二周目は左足に指輪をはめる。
という儀式でした!
で、この儀式が儀式的には最後あたりの儀式なので、これが終わったら最後に一個ぐらい儀式があって、あとは長い宴会です。
そして、最後。
ここが非常に大事なポイントなのですが、そんな長期間の宴にも関わらず、宗教上の問題で、酒は一切出ない!!
シラフでそんなに長時間、飲んだり歌ったり踊ったりどんちゃん騒ぎが出来るのかどうか下戸のわたしにはわからないのですが、インドの結婚式は誰でも出入りが自由らしいので今後インドに旅行のご予定があり、運よく結婚式に遭遇したら見物してみるのも、異文化交流が出来ていいかもしれません。
最近、世界の宗教のことばかり考えたり調べたりしていて、ちょっとした講義ができるぐらい知識がついたにも関わらず、生活になんの役にも立っていないし、こんな話そんなに聞きたい人もいないうえ、世間話的にいきなり周囲の人に話し始めるのもヤバい人丸出しなんで非常にもったいないなぁと思います。
なので、せめてこの前段部分を読んでいただいた人には、幸運な出来事が訪れることを願っています。
そして、その喜びをわたしに共鳴させてください(笑)
第4話の感想はこちら
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※以下、ネタバレありのあらすじ及び感想です。
シーズン1第5話。 『Art Is Like Religion』
メキシコの俳優リトは、韓国のサンと共鳴。
今まで体験したことのない不思議な体調の変化を感じる。
サンフランシスコのノミは、恋人のアマニタに助け出され病院を出、最近自分に起こる幻覚の不安を恋人に相談する。恋人はノミに、医師の言うとおり病気によるものなのか、別の理由によるものなのか確認しようと提案。逃亡の身となったノミとアマニタは友人の手を借り、一旦家に帰るも何者かの手によって荒らされた部屋を見ることになる。ノミを助けたウィルは、ノミの母親と連絡を取る。
ナイロビの”ヴァン・ダム”は、依頼された荷物を移送中に暴漢に襲われ【韓国の女性ファイター】が憑依するように祈る。
”ヴァン・ダム”は追い詰められたサンのところに現れ、彼女の話を聞く。
サンは母親との約束を守り、父親と弟を守るか自分を優先するか、彼の話を聞いて決断を出す。
ドイツのヴォルフガングは、盗んだダイヤの持ち主の叔父から疑いをかけられる。相変わらずインドのカーラと共鳴している。
一方、カーラは結婚式当日を迎える。
家族や周りの祝福ムードの中、カーラの気分は晴れない。式が進行する中、花婿と花嫁の誓いの儀式の最中の共鳴で気を失ってしまう。
リト、あの年齢になって初めての月の苦しみかぁ・・。
わたしは、もっといろいろあるタイプですが、腹痛には同情しかなかったですね。
可愛く演じてくれていたのが幸いでしたが、車の事故まで起こしてしまって、混乱していて非常にかわいそうだった。
(わかる、わかるよ・・)っていう親近感。
月一の試合で、相手が強敵の人もいるし、自分の方が圧倒的に強い人もいてケースバイケースではありますが、子どものころから月に一度という多頻度で自分のアレと強制的に試合を強要されているんで、長く付き合っているうちに攻撃のかわし方とか、潔い負け方とか、どうしてもだめな時の切り札の出し方とか、自分なりの試合方法が身についてくるじゃないですか。
だからと言って辛くない訳じゃないんですけど、納得してるのとしてないのとでは大違いだし、わけもわからず突然ああいう状態になったら、リトみたいになるしかないよね。
第一話から攻めてくるドラマだと思ってたけど、こういう話題も入れてきちゃうんだ・・と感心しました。
ところで、8人の中でも意識に差が出てきました。
受け入れ組は、ウィルとヴァン・ダムとライリーの3名、なんとなく受け入れちゃっているのは、サンとヴォルフガングの2名、混乱組はカーラとリトの2名かな。
サンとヴァン・ダムは会って話もしていたし。
ヴァン・ダムの話を聞いて、サンはどう決断したのか・・。
韓国の国が、中国も韓国も日本もないまぜになっていて、格闘技の師匠がジャッキー・チェン映画の師匠みたいなのがちょっと気になるけど、それ以上にサンの決断が気になる。可愛い愛犬を師匠に預けたのは、どっちの決断ゆえなのか。
どっちにしても後悔するんだから、父親と弟の呪縛から逃れる決断でありますように。
一方、ターゲットにされて病気扱いされたので、状況を把握するのに一歩出遅れたのがノミです。
彼女はちょっと精神的にナイーヴなところがあるので、今後ちょっと不安を感じるメンバーではあるんです。あとは生命力の強いアマニタに任せておけば、アマニタのほうが早く状況を理解してノミを引っ張ってくれるかも。
最近『ウォーキング・デッド』にハマっていた時に(今、この街がゾンビタウンと化したらどこに逃げ込むか・・)とか(大事な人がゾンビ化したらヘッドショットできるか・・)とずっと考えていたような状況になっていて、頭の中に歌が浮かんで来たり、暑かったり、寒かったり、変に何か食べたいときとか共鳴のせいにするのが自分の中での流行りです。
『sense8』を観ているみなさんはだいたいそうですよね?(笑)
というわけで、それではまた。
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