『アンブレラ・アカデミー』シーズン1第10話『ホワイトバイオリン』感想です。
あああああああああああっっっ!!!
最終話、こんな終わり??
最終話も二回観ちゃったよ・・。
というか、また第1話から全部観る勢いなんですけども。
もうガッチガチの典型的な【クリフハンガー】ラスト。
(崖にぶらさがっていて絶体絶命の状態であることから話の続きを期待させるような終わり方をすること)
まだシーズン1で全10話しかやっていないけど、2019年5月5日現在、令和№1海外ドラマは『アンブレラ・アカデミー』で決定(笑)
正直、ストーリー云々よりも、世界観や美術性、音楽性、細かい裏テーマなんかも含めてすごーく惹きつけられたし、自分でもなんでこんなんにハマったのか正直わからないです。
『ヨハネの黙示録』を調べたことにより、『聖☆おにいさん』がより楽しめる漫画になったということも思わぬ副産物でした(笑)
ところで、前回のレビューで(666)という数字にちらっと触れたかと思うんですけど、割愛したので少し、キリスト教における数字の意味を説明させてください。
(666)という数字は『ヨハネの黙示録』に【獣の数字】として忌まわしい数字として記載されている数字です。解釈も色々あり結論は出ていませんし、色々読んだけど頭がごちゃついただけだし、訳文は相変わらず意味不明なので、載せません(笑)
ちなみに『アンブレラ・アカデミー』の7人のきょうだいたちのように、キリスト教における【7】という数字は、完全数です。
7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢など7に関連する話もたくさん出てきますし、7日ごとの安息日のように、暦に影響をもたらし、江戸時代まで仕事にお休みの概念がなかったブラック日本社会に安息日がもたらされたのも、キリスト教が無関係ではないです。
そして、最初は7人いた『アンブレラ・アカデミー』のメンバーが一人死んで故人となったり、黙示録を引き起こす張本人になったりして、常に【7】になれず【6】になってしまっていて、この【6】というのは、完全数【7】に及ばない、神の敵や不完全なものを現す数字。
あんまりこの数字とキリスト教を突き詰めていくと、フリー〇ーソン的な都市伝説案件にたどり着くので、この話はここで終わりとしますが『アンブレラ・アカデミー』が完全数の【7】になる時が、この話の終着点となるのではないでしょうか。
なので、誰も欠けてはならないというのが大前提。
そういったわけで、シーズン2以降の話も、是非『ヨハネの黙示録』を引っ張っていってもらいたいと思います。
推しだろうが、推しじゃなかろうが、誰も死んではダメ。
死ななくても話は作れる!
そして、今回のエピソード、戦闘シーンに『Saturday Night』がかかっていて、6日目を象徴していたような気がしなくもないですが、そうすると次の日が日曜日になり安息日になってしまうので微妙です(笑)
エンドロールでは『Hazy Shade of Winter』がかかる前に、コンサートでヴァーニャが奏でていた曲のタイトルは『Apocalypse』(黙示録)という曲ですが、『アンブレラ・アカデミー』オリジナル曲みたいでした。
ちなみに、『Hazy Shade of Winter』には個人的な思い入れがありますが、それはまた別の機会に(笑)
第9話の感想はこちら
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※以下、ネタバレありのあらすじ及び感想です。
シーズン1第10話。 『The White Violin』
ルーサーによって屋敷の地下の遮音室に閉じ込められた№7ヴァーニャは怒りと共に強大なパワーを爆発させて、屋敷を次々と破壊。ポゴは屋敷に居るきょうだいたちに次々に逃げるように指示。ポゴはヴァーニャを止めようと声を掛けるが、怒りを抑えることができなヴァーニャは、ポゴを殺害し、屋敷も破壊。母であったグレースも屋敷とともに崩壊してしまう。屋敷の破壊後に屋敷に戻った№5は黙示録の原因はヴァーニャだと気づき、きょうだいたちとボウリング場で家族会議をすることになるが、ヴァーニャを止めたくない【委員会】の手下たちに襲われる。
なんとかコンサート会場に到着するきょうだいたちだったが、ヴァーニャはトランス状態でバイオリンを奏で続けており、なんとかヴァーニャからバイオリンを奪おうとするが、またしても委員会からの攻撃に遭い混乱する劇場。
ハンドラーに、ヴァーニャを守るように言われたチャチャとヘイゼルは、ヴァーニャのいる劇場に到着するが、ヘイゼルはチャチャを裏切る。
きょうだいたちが力を併せてなんとか『黙示録』を止めたかと思われたが、ヴァーニャの力は想像以上で月を破壊し、その小さな欠片が次々に地球に降り注ぎ、更に大きな月の破片が地球に届く寸前、『アンブレラ・アカデミー』のメンバーたちは最後の手段に出る。
3話ぐらい前から、ヴァーニャに関しては猛烈にイライラしていたけど、最終話にして怒りMAXだわ。
ポゴ殺すことないでしょう!?
知ってたからなんだっつーの?(怒)
ポゴ、大好きだったのに・・。
優しい声音と美しい英語(なかの人はやっぱりイギリス俳優さんだった)が好きだったし、ポゴの言うことは正論だったよ。
もう大人(30歳)なんだから、何故父親やポゴは力は自分の力を抑えて、そのことをひた隠しにしていたのか少しは考えてくれよー、頼むからー。
もうすでにこの二日間ぐらいで何人も殺してるでしょー?
って思ったけど、『ヨハネの黙示録』的にも№7は空気扱い→最終兵器、だったからストーリー的に仕方ないのかもしれないけど、きょうだいたちヴァーニャに優しすぎるよね。大人になってから何十年ぶりぐらいの単位で再会したきょうだいたちが、あんなに優しいのに、子どものときのヴァーニャの記憶が剥離しすぎてるのは、当事者ならではの被害者意識なんだろうな。
ハーグリーブス卿にヴァーニャが引き取られていなかったら、あそこまで成長するまでもなく、世界はとっくに終わっていたか、産みの親に殺されていたか産みの親を殺していたかだし、完全な妄想ではないとは思うけど、ヴァーニャの記憶が盛られてる可能性大。
気持ちわからなくはないけど、あそこまでされるほどのことじゃないと思う。
家族によくある風景だよ。
そうじゃないとしたら、わたしがアリソンなら撃ってる。
他のきょうだいたちも、娘も守りたいし。
あそこで撃てなかったのは絆か愛情があったからでしょう?
ヴァーニャは聞く耳持ってなかったけど、常にアリソンはそのこと訴えていた。
ハーグリーブス卿も、あのヴァイオリンがどれだけハーグリーブス氏にとって大切なものなのか、ヴァーニャに思い出話を聞かせていれば、結果は全然違ったかもしれないのに、そういう子育てのほころびって取り返せないから難しいよね、親子って。
特に相手は子どもたちだったから、きちんとわかりやすく伝えなきゃわからなかったのに、不器用すぎたな。奥さんの名前もグレースだったかもしれないよね。
シーズン1の最後、時空を超えてやり直すってことで子ども時代にみんななっていたけど、シーズン2はあそこの段階からやり直すのかな。
第1話から10話までの間に、元々大人っぽかった№5の中の人が若干成長しちゃっているので、シーズン2で同じ13歳を演じるのは身長も伸びるし、さすがに半ズボンは危険になってくるんじゃないかなと思っていたけど、子役スタートならみんなと同じように成長するってことで、ストーリー的に出来ないことはないな。
他のメンバーは、無理やり20歳を演じ、№5の中の人はちょっと大人っぽく20歳を演じれば問題ないから(笑)
ベンの死因とか知りたいし、シーズン2を子役からやり直すのはいいとしても、シーズン1のメンバーが全然出てこないのはちょっと淋しい。
№5と一緒で、30歳の脳のまま思春期の体に戻るのかな。
それじゃないとやり直せないけど、そしたら、未来が変わっちゃうからどうなるんだろう。
アリソンは結婚とかしないことになっちゃえば、そしたら子どもも生まれないし、またそれはそれで弊害が出てきて、ハンドラーの言うことはこういうことだったのか・・ってなっちゃうのかなぁ。
ラスト、街が吹っ飛ぶ時、ヘイゼルとアグネスが幸せそうにしていて、それだけは本当に本当に嬉しかったです。
ハンドラーにとらえられているアグネスを助けにチャチャを裏切って登場したヘイゼルもかっこよかったし、一瞬にしてすべてを受け入れたアグネスもさすが、ヴァーニャとは違って大人はいい!と思った瞬間でした(笑)
是非、シーズン2でも二人を出会わせてあげてほしい。
そして、一刻も早くシーズン2を観させてほしい。
早く観たい、早く観たい!!!
ところで、ヴァーニャと一緒にバスに乗ってニヤニヤしてた金髪の女の子誰?
最終話なのに、まとまりのない感想ですみませんでした。
まとまりはないですが、書くのに異常に時間はかかっていますので許してください(笑)
それではシーズン2で、またお会いしましょう!
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