こんにちは。
『ブラック・ミラー』シーズン2もコツコツ完走しました。
後だし情報になりますが『ブラック・ミラー』シーズン1は2011年に放送され、シーズン2は2013年に放送されました。
シーズン2も3話構成で、翌年の2014年にスペシャル版が1話放送され、その2年後の2016年にシーズン3放送という、じっくりと作られているドラマシリーズです。
※シーズン1未見の方は、まずこちらから。
『ブラック・ミラー』観ているうちに、既視感に襲われてきて、うーん・・と考えていたんですが、やっと思い出したんです。
全体的に『笑ゥせぇるすまん』的なニオイがする。
皆さん知ってますか、喪黒福造。
知らない方のためにこのアニメを少し説明すると、基本的には窮地に陥っている一般人のところにこの喪黒福造という謎のセールスマンが現れて、その人のピンチを救う商品を、何故か無料で提供するんです。
彼はその商品を使うためのルールを設けるのですが、だいたいその当事者はルールを守れず、破滅の道に落とし込まれるという救いのないショートストーリーが基本です。
人間の大きすぎる欲や深すぎる業とかをバッサリ描く、藤子不二雄Ⓐ氏。
時代的に古いところもたくさんあると思うのですが、人間の基本というのはだいたい変わらないものなので、今見てもそれなりに面白いんじゃないのかなぁ、藤子不二雄的なドラえもんの秘密道具っぽい闇道具も出てくるし・・と思いつつ、
子どもの時からこんなアニメが大好きだったとは、今思えば、わたし、なんて変わった子・・・。
大人が欲にまみれて破滅の道を進む姿を面白いと思って夢中で観ていたあげく、自業自得だなって思ってた記憶もあって、末恐ろしい。
もしこれが自分の子だったら絶対将来心配してたし、実際結果がこんなだから、ちょっと何とも言えない(笑)
というわけで、個人的には『笑ゥせぇるすまん』的な『ブラック・ミラー』。
三つ子の魂百までってことで、やっぱり似た感じの作品は好きみたいです。
第1話はまさに『笑ゥせぇるすまん』的な感じでした。
第2話が、タイトル通りの一生忘れなそうな強烈エピソード。
第3話は、最近話題にのぼりがちな”やらせ”問題を考えるきっかけに。
そして、スペシャル版は、ちょっと長めの作品だったのですが、オチが気になってどんどん観てしまって最後は止められませんでした。
いずれにしても印象深い作品ばかりで、海外ミステリードラマの脚本力や深い作りこみ、完成度の高さを感じさせてくれました。
それでは、各ストーリーを振り返ってみましょう。
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第1話
『ずっと側にいて』
"Be Right Back"
マーベル映画界隈では、キャプテン・アメリカの恋人、ペギー・カーターは有名人物ですが、そのペギー・カーターを演じた、ヘイリー・アトウェルと、ハリー・ポッターやスター・ウォーズなどに出演している、ドーナル・グリーソンが共演したエピソード。
突然事故で最愛のパートナであるアッシュ(ドーナル・グリーソン)ーを失ったマーサ(ヘイリー・アトウェル)はパニックに陥る。
それを心配した知人は、”あるサービス”に登録する。
余計なお世話だと、憤慨するマーサだったが、そんなマーサに転機が訪れ、そのサービスに手を出してしまう。
まさにこれが『笑ゥせぇるすまん』ぽい話だった。
喪黒福造のキャッチコピー(?)は「心の隙間お埋めします」なんですが、心の隙間を埋めようとしたけれど、人生そんなに甘くなかったっていう。
人間ってすごい欲深い生き物っていうのを見せつけられた。
第2話
『シロクマ』
"White Bear"
このエピソードは、全てのことがネタバレになってしまうのであらすじは一切書けないのですが、今まで観たエピソードの中で一番怖い話だった。
SNSをやインターネットをやっている全人類が一度は観たほうがいいと思うし、むしろこのエピソードだけでも観て。
ちょっとしたホラー映画なんか凌駕する心理的恐怖と、驚愕のオチ・・・。
わたし、このエピソードのことたぶん一生忘れないと思う。
フィクションでありながら、フィクションとも言い切れない感じ。
これからちょくちょく夢に見そう。
観てからだいぶ経つのに、たまに思い出して怖くなる。
うー、本当はネタバレ満載で感想書き殴りたい。
脚本の功名さ、物語の是非。
しかし、書けない!! 観た人と語り合いたい。
なので、とにかく早く誰か観て(笑)
第3話
『時の"クマ"、ウォルドー』
"The Waldo Moment"
テレビ局のとある番組のアニメキャラクターである毒舌の青いクマ、ウォルドーがどんどん人気を博しビジネスとして成功していく中での、ウォルドーの声をやっている中の人の葛藤が描かれたエピソード。
このエピソードも、なんていうか最近よく話題に上がる”やらせ”問題を彷彿とさせる内容で、切ない気持ちに。
人って、承認欲求があるし褒められたいから、目の前の相手の求める自分を演じてしまうことが日々あると思うんです。
お金が絡んでいてもいなくても。
例えば、お金が絡んでいる事例で言うと、勤めている会社でわたし自身に求められているキャラクターっていうのがあったら、めんどくさいのでわたしはそれに従います。
会社を辞めても縁が続くのは特殊な例だし、だいたい同じ会社に勤めていて長く一緒にいると嫌な面ばかり見えてくるもので、冷たいようですが、本当のわたしを会社の人に知ってもらう必要は一切ないためです。
現在の会社も、何故か離職率が低い会社ですが、定年で円満退職であったとしても、退職者はだいたい音沙汰が一切なくなりますし、気持ちはわかります(笑)
だけど、求められる自分を演じてたり、人の期待に応えているうちに、それも本当の自分になってきちゃったりして、わからなくなっちゃうのが”やらせ”の一番厄介なところなんじゃないかと、このエピソードを観て思った。
ドラマや映画などのお芝居は、演じるスタンスで臨むし、セリフも自分が考えたものじゃないものが多いから、中の人とキャラクターを混同することは少ないのかもしれないけど、リアリティーショーとか即興劇みたいなものは、例え演出が入っていたとしても、出演している自分と、素の自分は別には考えられないものなのかなと最近の色々を観て思ってしまう。
エンタメ作品だとよっぽどひどい演技じゃない限り、作品への批判はあったにしろ演者への中傷ってないわけじゃないけど少ない気がするし。
ちなみに、”プロ”なのに演技が壊滅的に下手とか、歌があんまり上手くないとかは多少、文句言われても仕方ないとは個人的に思いますが。
会社員であるわたしがエクセル出来なかったり、メール打てないのと同じだと思ってます(笑)
そもそも本当の自分なんて、その時の状況によって変わるもので不変的なものでもない。
というのもあって、演出による中傷も【演出への中傷】ではなくて【演出に乗った自分への中傷】っていう受け止め方にもなるし、強引にでもそういうやらせに加担した自分も責めてしまったりするものなのかもしれない。
人を騙してるかもしれないっていう行為自体が、元々根が真面目でいい人ほど苦しいんだろうなー。
本当は違うって言いたいのに言えなかったり。
Youtube全盛期時代で、エンタメと日常の垣根、画面の向こう側の人と画面の中の人の距離が近づいている時代だからこそ、提供する側も提供を受ける側も、境界線をしっかり設けないといけないと考えてしまうエピソードでした。
2014年スペシャル版
"White Christmas"
雪景色のクリスマス。
山小屋のような場所で、恋愛コンサルと思われる男性が、一人の男性に料理を作りながら、過去の自分が手掛けた事案を話すところから物語はスタート。
目から見える画像と音声データがリアルタイムでコンサルに届き、インカムでコンサルの指示通りに行動する、恋愛に奥手な依頼人の様子が映し出されるのがオープニング。
その後、話が二点三点し、語り手が変わり、一気にラストまで進む。
後半の話の展開はなんとなく読めてしまったのだが、面白くて一気観してしまった。
面白い・・・、面白いとも違う。
何故かものすごく引き込まれた。
最後の最後のラストのオチはさすがだった。
このエピソードのテーマは、わたしは”孤独”だと思った。
ネットが生活に根付くまでは方法がなかったので、浮き彫りにならなかった、人間の過度な承認欲求も、自分を悪者にして炎上させてまで人に絡まれたいのも、淋しさの裏返しなのかなーと、このエピソードを観てなんとなく思ってしまった。
だいたいの人間は誰かに自分の存在を認めてもらえないと生きていけない。
たまに仙人みたいに暮らしてる人もいるけど、そういう人だって完全自給自足ではなかったりして「あそこの山に仙人みたいな人が暮らしてる」って認識されてたりするもんな。
わたしも人付き合いは苦手だけど、会社員として長く働いているし、ネットにはずっと繋がってるわけだし、こうしてブログも書いたりして、なんとか社会と、人と、繋がろうとして頑張ってる。
罪に対する最大の罰は、死じゃなくて、完全な孤独。
という、ヒトならではの側面を表現したエピソードで非常に興味深かったです。
『ブラック・ミラー』シーズン2は、近未来を描いた5年以上前の過去作品でありながら、今のリアルタイムに即している内容で、やっぱり人の想像できる範囲内のことは、あらかた現実的なんだなと思ったりもしました。
1話完結モノなので、またコツコツシーズン3も観ていきたいと思います。
全シーズン観たらネタバレ満載の総評記事を書きたいですね!(笑)
というわけで、それでは、また。
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※そろそろクリスマスのことも考えるべき?