とても寒い夜に夜桜を鑑賞して、海外の屋台のようなレイアウトのお店で海外のごはんを食べた。
夜桜の帰り道で初めて通る場所にそのお店はあった。
一度はその店の前をスルーしたけれど、接客担当の呼び込みのお姉さんのことが気になって戻ってしまった。
屋台スペースにて接客と呼び込みを担当していたお兄さんは【NO KEBAB NO LIFE】と書いたTシャツを着ていた。
呼び込みのお兄さんは外を歩いている男性には「お兄さん! 社長!! ケバブ大盛!!」と声をかけていた。
女性は「お姉さん」だった。
わたしも社長って言われたかったなと思った。
本当に社長でもない限り、人生で社長と言われる機会なんてそうそうない。
店の大部分を占める厨房では一家のお父さんであろうシェフが黙々と調理をしていて素敵だった。
南米系や中東系の顔がすごく好み。
元々年上好きだったけど、自分の年が上がってもさらに年上が好きになるだけだったのは意外な事実だった。
元々食べ歩きが好きだったけれど、コロナ禍で外食は激減で久しぶりの外食。
外食にはまだ少し不安があった。
でも、そのお店はほぼ外みたいな環境で換気はバッチリだったし、わたしたちが入っていったあとには一人客が数人出て行ってそのあとはわたしたちしかいなかったので安心だった。
店員のお姉さんと呼び込みのお兄さんは厳重に二重マスクをしていて心なしかホッとした。
基本軽食を食べていく人達が多いなか、せっかくの外国料理なので初めて食べるものを食べたかった。
まずくてもかまわないのでとにかく食べてみたい。
メニューを見てもどんな料理なのか全くわからなくて困惑した。
写真はあったけど見たことがないものばかりで、どんな材料で作られているのかも不明だった。
どんな料理なのか検索しながら味を予想した。
注文にものすごく時間をかけて食べたことない料理をたくさん注文した。
まず、サラダが出てきた。
ものすごくしょっぱいチーズがのっていてきゅうりが美味しかった。
お通し的なビールを飲む用の感じと思ったけど、残念ながら飲めない体質。
その次に肉の盛り合わせがプレートがどーんと登場した。
何がおいしいかわからないので試しに全部盛りに挑戦したのだ。
だけど、どれがどの肉なのか一切説明もなくて食べて確認するしかなかった。
イスラム教圏のレストランは豚が一切出てこないけどわたしは牛があまり得意ではないので、牛はそこそこにチキンとラムを食べていた。
関東ではラムを手軽に食べられるお店といえばわたしの中ではサイゼリヤとビリヤニを出すインド料理ぐらい。
そのお店のラムはかたくてよかった。
パサパサのごぼうのささがきみたいなチキンも、ヨーグルトのたれみたいなものに漬け込まれたチキンもとても美味しかった。
肉につけるサルサソースのようでサルサソースではない、トマトのソースがすっごくおいしくてそれだけでごはん食べたかった。
味付けは見た目に反して優しい味付けでシェフの雰囲気がよく出ていた。
Wikipediaに書いてあったんだ。
そして、初めて飲んだトルココーヒーはとても小さな可愛いカップに入っていて”おがくず”のような味がした。
初めて味わう味だった。
カップの底におがくずのような粉もたまっていた。
わたしは異国の味がして好きだった。
デザートも味の想像が全くできないものを頼んでみた。
写真から想像していたものよりはるかに小さなミニパイ。
パイ生地にピスタチオクリームが挟まっていると聞いていたが割ってみるとクリームではなくてほぼ実で、ピスタチオの味はあんまりしなかった。
フォークで押すシロップがドバーっと染み出てきていたのでパイのシロップ漬けのようだった。
連れは「油が出てきた!」と言っていたが油ではなかった。
激甘で外国の味がして楽しかった。
伸びるアイスも頼んでぐるぐるかきまぜた。
呼び込みが成功したからなのかわたしたちが楽しく食事していたからなのか、お店のお姉さんがわたしたちを気に入ってくれて、メニューの見方などをたどたどしい日本語で説明してくれた。
お姉さんの故郷の国はどんなところで、どんなところで育ったのだろうと考えながら聞いていた。
紅茶のおかわりもたくさんもってきてくれた。
コーヒーと違ってすっきりした飲みやすい紅茶が小さなくびれたグラスに入っているものだったのですぐなくなってしまう。
久しぶりにレストランで気持ちよくたくさんお金を使った。
気分がよかった。
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こうして日常には楽しい出来事もあって日々過ぎていくけれど、最初は麻酔のように眠くなっていた薬もだんだん効かなくなって眠れなくなってきていて、一人でいると過去の嫌な記憶に支配されてしまうし未来も真っ暗な気持ちになってくる。
特に朝の電車では、会社に向かうという苦行がそうさせるのか辛いことばっかり思い出す時間として習慣化してきていけない。
わたしがこんな風に悶々と考えてしまうのも、また実家に帰らないといけない日が近づいているからだった。
気持ち的に億劫でなかなか飛行機の予約に至らない。
一度堰を切ってしまうと回復に時間がかかるので踏ん切りがつかず業務連絡もなかなかできないでいた。
でも、前回の反省も含めて今回の帰郷は一人じゃないし実家には泊まらないことにしたので前回よりは少しは気が楽だ。
今回新たな頭を抱えそうな問題も持ち帰ってきてしまうと思うけれど、今のわたしには対処できるだけの気力がない。
一方、桜はえらい。
毎年綺麗に、本当に綺麗に咲く。
冬の間に何があっても全力で満開になり春の訪れを祝う。
桜の木の下でみんな空を見上げ、思い思いの角度でスマホを向けているさまは夜だったこともありなんとなく厳かな雰囲気だった。
桜の花は憂いを帯びた美しさがある。
どんな色のどんな形の桜もこちらには心を開いてくれないような凛とした雰囲気があっていい。
たくさんの人に愛されていながらも、人を芯までは寄せ付けない雰囲気が桜の下には死体が埋まっているという都市伝説を生んだんじゃないかと思うけれど、桜の下に埋められた死体はものすごく愛された死体なんじゃないだろうかと思う。
少し羨ましい。
何はともあれ2022年も3か月が過ぎて、また何かと忙しい日々が始まる。
その前に世間はGWが来てわたしは空いた電車に乗り、休んでいる人を羨みながら会社に来て、合間にちょっとだけ休む。
例年通り家にいて、ご飯を作ったり掃除したりする予定だ。
ところで、フォロワーさんが『バイオハザード』のグリーンハーブのグッズをプレゼントしてくれた。
今年は家事の合間に積みゲーにしている『バイオハザード4』をやりたいと思う。
今年は誰かに会うことができるだろうか。
状況と気持ちがそれを許すだろうか。
今年は去年よりは外に出かけて、またこうしてその時の様子をブログにさらっと書けたらいいと思う。
こういうことでもいいのではないかと思っていたりもする。
心から世界の平和と大切な人たちの平和と自分の平和を願っている。
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