募集お題第二弾です。
※第一弾はこちら
第一弾は【好きな食べ物】のことを書かせていただきましたが、久々に筆が乗って楽しかったです。8000字という超ボリューム記事となってしまいました(笑)
そして、今回の第二弾ですがお声がけいただいたフォロワーさんの「エッセイが読みたい」とのご希望でエッセイを書かせていただきたいと思います。
一部身バレ防止のため、多少フェイクをいれつつお送りします。
それでは、広告を挟んでエッセイ【三代目の犬の話①】です。
追記:書き始めたらすごく長くなってしまっているのでとりあえず①です(笑)
②か③で終われるかと思います。よろしくお願いします。
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その犬はわたしが覚えている限り、三代目の犬だった。
もしかしたらわたしの知らないところで先住犬がいたのかもしれないが記憶にはない。
わたしが育った家庭はすこぶる荒れていて、ものすごく貧乏だったにもかかわらず、母が動物好きでよく犬を拾ってきたりもらってきたりしていたのだ。
猫はダメで絶対犬だった。
犬とずっと暮らしていたせいでわたし自身も完全な犬派になってしまった。
子どもにもたくさん我慢をさせていて、本来であれば動物を飼っていい状況ではない。
ただ、荒んだ毎日で動物を飼いたいという気持ちはすごくわかる。
犬にとって最適な環境だったかどうかはわからないが、基本的には子どもより犬に愛情を注ぐタイプの両親だった。
一代目の犬のことはほぼ覚えていないが、白の雑種犬でコロという名前だったと思う。
昔はよくある犬の名前だったが、今の時代微妙な名前になってしまった。
今でもコロと名付けられる犬はいるのだろうか。
そしてわたしは、コロと遊んだ記憶もどういう別れをしたのかもよく覚えていない。
気づいたら居なかった。
二代目は少し覚えている。
気の強いメスで小さな柴犬ぐらいの大きさの、濃い茶色の短毛の雑種犬だった。
父が建てた犬小屋で外飼いをしていた。
名前はランと名付けられていた。
ランは飼い主には歯向かうことはなかったが、来客などへの警戒心は強かった。
都心に比べたら住宅の敷地に余裕がある環境だったとしても、近所の人に良く思われていなかったのじゃないかと思う。
うちの母もまだ若く、近所付き合いも嫌がってほとんどしていなかった。
そんなランだったが、思春期になってボーイフレンドができた。
今思うとおおらかすぎる話だが、近所に犬を放し飼いにしている家があった。
しかも秋田犬ぐらいの大きさの超大型の雑種犬である。
地元では割と大きめの商店だったが、散歩をめんどくさがってその超大型犬を放し飼いにしていた。
そのお店は大きな住宅が併設された建物で、スーパーと商店の真ん中ぐらいの規模だった。
そうはいっても子どもの足で歩いて10分ぐらいの距離はあったのでかなりの広範囲でうろうろしていたと思われる。
町中を自由にうろつく超大型犬なんて、今の時代ではニュース扱いだろう。
子犬のときからうちの近所をうろうろしていてじゃれつかれたことがある。
「このでっかい真っ白の人懐こい犬はなんだ!?」と思っていたら、さらにどんどん大きくなっていった。
あとからあの子は子犬だったんだとびっくりした。
子犬の時点ですでにゴールデンレトリバーぐらいの大きさだったからだ。
飛びつかれた段階でわたしの身長ぐらいの背の高さがあった。
図体は大きいが、その見た目に反し性格は極めて穏やかだった。
気の強いランとおだやかな大きい白い犬は気が合ったみたいだった。
ランはずいぶんと丸くなって顔も優しくなった。
ずいぶん静かだなと思っていたら中型犬一匹用の犬小屋に、その大きい犬と二匹で入りうまい具合に重なり合って丸まって眠っていたこともあった。
自分の極めてプライベートなスペースに、よその犬を招き入れる犬がいるなんてことが実際そんなにあるのだろうか。
研究したいという人が現れてもおかしくないようなことかもしれない。
二匹で丸まって寝ている光景は何度か見たが、どうやって小屋に入ったのかいまいち誰もよくかわからなかった。
小屋に入るところをだれも目撃できなかったからだ。
二匹だけの秘密だったのだと思う。
犬にも運命の出会いがあるんだと思った。
どんな会話を二匹で繰り広げていたのだろうか。
若いランの蜜月はけっこう長く続いていたのになぜか子犬は誕生しなかった。
そして、二代目の犬、ランの最期は急に訪れた。
こどものわたしにはちょっと衝撃的な別れ方だった。
身近な生き物の死を目の当たりにした初めての出来事だった。
わたしが見たときはもう冷たくなっていて、
父と母は「毒を盛られたかもしれない」と言った。
大人になった頭でいろいろ考えると、うちの犬のところにランのボーイフレンドが来るのを嫌がっていた人がいたのかもしれない。
その犬は地元の割と名士の家の犬だったし、たぶんそのことは近所中が知っていた。
そちらを攻撃はできなかったのじゃないかと今になって思う。
保健所に通報されなかったのもそのせいじゃないかとも。
わたしたちは極めておとなしいと知っていたが、そんな超大型犬がうろうろしているのは嫌がる人がいるのが普通だ。
ランがいなくなればその大きな犬も来なくなると思った可能性がある。
そもそもランは気の強い子だったし、人を噛みはしないけど愛想はよくなかったのでよく思われていない可能性は充分あった。
だが、父と母が自分たちのせいだと思いたくなくて思わず言ってしまったのかもしれなかった。
本当に突然死だったかもしれない。
もう真偽はわからない。
父は軽トラの荷台にバスタオルにくるんだ二代目の子を乗せて実家の山に一人で埋めにいった。
軽トラの色や背中が忘れられない。
母にうるさく言われてわたしはランを散歩に連れていったりしていた。
人はそんなに歩いていない町なので気の強い犬を子どもが散歩していても特に問題はなかった。
一緒に海を眺めたりした。
でも、わたしも子供だったし散歩が足りなかったのかもしれない。
知らないところでストレスを発散させていた可能性もある。
それで恨みをかったのかもしれない。
わたしも子ども心に後悔が募ったが、意外にも家族の中で一番落ち込んだのが父だった。
そして、ランを失って本当にすぐのころだった。
犬が死んだということを聞きつけると、なぜか「新しい犬を飼わないか」という誘いが不思議とあるものだ。
田舎は情報が回るのが早い。
わたしの元クラスメイトの女の子の家だった。
わたしを通じて連絡をしてきた。
昔は外飼いの家の犬によく子犬が生まれたりしていた。
彼女の家もそうだった。
父が一番落ち込んでいたし、母も落ち込んでいたので二人ともその話にとびついた。
その子から「五、六匹いるので選んでくれ」と言われて、わたしはおそらく父と一緒にその子の家に向かった。
その時の光景は今でも忘れない。
段ボールに、茶色の犬と、真っ白なタイプの犬と二種類の小さな小さな子犬が半々ずつぐらいの割合で入っていた。
まだ目も開いていなかった。
父はわたしに「好きなのを選べ」と言った。
その中の一匹だけ茶色の眉間に白い三日月のようなマークがついていた。
迷わなかった。
「この子にする」と抱き上げた。
わたしと三代目の犬との初めての接触だった。
とても小さくて、とても温かかった。
小さな体で、心臓が力強く鼓動を打っていた。
目が開くまでは母犬のもとに置くということで、うちに来たのはそれから数日か数週間ぐらい経ったあとだった。
ほんとうに大丈夫なのかと思うほど小さかったが、特に病気もせず元気に健康に育ってくれた。
直感で決めたのでよく考えていなかったが、性別は男の子だった。
そして、三代目の犬の名前はわたしが決めた。
海と書いてカイだ。
二代目を不幸な形で亡くしたことで父と母のカイへの溺愛ぶりがひどかった。
トイレのたびに外に出すしつけをするといって、常にそばに置いていた。
このカイが来てすぐのころの忘れられない思い出がある。
大きな地震があったのだ。
東日本のときもそうだったが、被害の甚大だったところは大きく報道されたが震源付近に住んでいたわたしの住んでいるところも実はかなり揺れた。
時間は夜で朝の早いわたしはもう床についていた。
地響きとともにすごい揺れ方をした。
家はかなりぼろい木造だったので家ごと崩れるかもしれないと思うほどだったが、わたしは玄関から一番遠い部屋で眠かったので収まるのをまとうと思った。
隣のキッチンで食器棚が倒れている音がしていたが、危機感ゼロだった。
東日本を経験した今では考えられないしわたしもちゃんと子供だった。
外から大声で母が叫んでいたので近所迷惑だしうるさいから仕方なく外に出ようと思い、ようやく布団から這い出た。
玄関から一番近い部屋で寝ていた両親はすぐさま外に出たようだったが、まさかカイを置いてってはいないよな、と思ったが嫌な予感がした。
母の枕元の段ボールをのぞいたらカイがものすごく震えて動けなくなりながらわたしをみあげていた。
地震のことよりそのことに絶望した。
二人居て二人とも置いていくってどういうつもりなのか。
わたしは震える小さな体をしっかりと抱きあげて外に出て、カイを置いていったことで余震もままならない夜に外で怒り狂った。
カイを見た両親は瞬間的にバツの悪そうな顔をした。
わたしが抱いている姿を見るまで頭になかったらしい。
母は、なぜすぐ逃げないのか!とわたしを怒るタイミングを完全に逸していた。
子も置いていっているがそれは仕方ないとしても、子犬はダメだ。
そういう人たちだとうすうす気づいていたので自分を置いていったことはなんとなく受け入れられたが、子犬を置いて自分たちだけ我先に逃げたことは今でも忘れられない。
そのあと余震で震える地面と、カイの震えがおさまるまでわたしがしっかりと抱いていた。
揺れがおさまったころ、地面におろして歩かせた。
砂利にけつまずきながら一生懸命歩いていて、わたしは泣きそうだった。
家は煙突が崩れ落ちて下に落ち、食器棚が倒れてキッチンは割れた食器が散乱していた。
わたしの部屋も机に入れている本が全部ふっとんでいて家の中がぐちゃぐちゃになった。
体感的な震度でいえば東日本の時より大きく感じた。
翌朝眠れないまま普通に学校にいったが、ちょっと震源地から離れて被害が少なかった生徒たちは呑気で、わたしは少し人間を学んだ。
そこから順調にカイは成長して、成犬になると垂れていた耳も立って毛は赤毛の長毛でふさふさしていた。
大きさは小さなボーダーコリーぐらいで体重は15キロぐらいあった。
柴犬よりは大きくゴールデンレトリバーよりは小さい。
母犬は小柄で柴犬ぐらいの真っ白な短毛の犬だったので長毛になったのは意外だった。
言葉をよく覚え、こちらの意思を尊重する賢さがあった。
反面、頑固で硬派な性格の犬だった。
散歩と走ることは大好きだったが、ボール遊びなどは一切付き合ってくれなかった。
散歩も二代目のときの反省からか、それぞれの家族が連れていき一日の回数がどんどん増えていった。
トイレトレーニングに成功して家で排泄をしなかったことも理由になった。
オスにしてはトイレをよく我慢する犬だった。
よく運動をしていたのでもふもふの中身はがっしりとしていた。
そして、外飼いの予定がカイはいつの間にか玄関で寝るようになっていた。
一緒に過ごす時間がどんどん増えた。
このあと家族で引っ越すことになり、わたしと三代目の犬カイの物語はまだまだ続くことになる。
ー続ー
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