たま欄

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『作品を誤読する自由』のもとに映画やドラマの感想を書いているわたしの私見。

 下記の2記事が話題になったようです。

 

gendai.ismedia.jp

 

gendai.ismedia.jp

 

正直なところ、倍速や10秒送りで鑑賞する人たちに関しては何も思いません。

時間も有限だし作品は一生かけても見きれないほどあるし、個人の自由だと思います。

製作側からしたら不本意かもしれないですが、世に出してしまったものをどう楽しむかは受け手次第ですよねー。

なぜそんなにテレビでやるほど話題になったのか。

みんなYoutubeなんかの動画だったらやってるよね、早送り。

映画やドラマだからダメっていうのもちょっと理屈が通ってないし。

 

このブログも長文がウリ(?)で、長々といつも書いていますが一言一句読まれてなかったとしても、読み飛ばされていたとしても特に気にしないです。

余暇時間に、こんなブログを読みに来てくれていること自体が奇跡的な自体ですし。

ただ、読み飛ばしていてきちんと全部読んでないのに文句言われたら不本意だとは思う。

 

なので、基本的には布教か文句がブログの目的なので、わたし自身はそういう視聴は今後もしないつもりですし、映画やドラマを見るときはゆったりした時間にしたいのでせかせかしたくないです。もちろん余韻的な部分や沈黙も大好き。

早送りしながら観るのめんどくさいしね(笑)

 

わたしが気になったのは下の記事のほうです。

 

感想ブログ書いているものとして見過ごせない内容だったので、この記事を書くにあたり繰り返し読みました。

 

 

 

 

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・「わからない」と「つまらない」は同列か

 

確かに作品の内容を自分なりにでも理解した方が面白いというのはあるでしょう。

わたしは『スター・ウォーズ』シリーズの面白さを理解できないうえ、面白いとは感じなかった派です。

でも例外はあります。

理解はできないけどつまんなくはないという作品は確実にある。

例えば『呪術廻戦』なんかも実際の設定はあんまり理解はしてないけど作品としては面白いです。

 

わかんなくても面白いことはある。

 

何が言いたいかわからなくなってきましたが、わかんないとつまんないはイコールすることもあるけどしないこともあるって言いたかっただけなんです。

そしてわかるけど、つまんないっていうのが一番作品として最悪なんですけども。

 

さらに作品がどんどんわかりやすくなった結果、そういう作品が増えそうっていうことで次の話題。

 

・「わからない」と思う人に向けた作品だらけになると淋しい

 

記事中の『頭が悪いと認めたくないために作品にセリフを求める』はさすがに暴論だと思いますが、今期の地上波ドラマで唯一観ている『大豆田とわ子と三人の元夫』 という作品を見ていて感じていたこととこの記事の内容が合致しているので、現在は制作側が”そういうスタンス”で作品を作っているのは確かな気がします。

元々長台詞が持ち味の脚本家ではありますが、それにしてもセリフが多すぎる。

そして、さらにずーーーっとナレーションがうるさいと思っていました。

そんなに説明いらない! 見てればわかる!! って。

 

そして、毎回「今週の大豆田とわ子はこうですよ」っていう1分ぐらいのダイジェスト版を冒頭に入れてくる。

その内容を賞味40分ちょっとで踏襲していくわけですが。

このダイジェスト版も不要だと思っていました。

これからやるのに必要!? っていう疑問があったし、ネタバレされるとビックリや笑いも減るし。

 

しかし、この記事でものすごく腑に落ちました。

 

こういう事情だったのかー、概要だけ知りたい人のためにやってたんだなーって。

なんとなく1分観れば話についてけるもんなって。

これから日本の地上波ドラマはこういう風に変わっていくのでしょうか。

ちょっと淋しい。

 

わたしは海外ドラマも観るタイプなので、日本のドラマがダメなら海外ドラマ観ればいいとは思いはしますが演者のスタイルも変わっていくのでしょう。

 

多数派には叶わないし時代は変わりますので、過渡期なのかもしれません。

 

 

・実際は、『おもしろくない』というほうが勇気がいる。

 

面白いというのも面白くないというのも勇気がいると個人的には思います。

わたしがブログを始めたきっかけはつまんないと思っていたドラマに称賛コメントばかりで腹が立ったからというものなんですが、「おもしろい」というポジティブコメントのほうが、気持ちが楽です。

あんなのが面白いなんて信じられないという反応があることはあると思いますが、だからといって攻撃されることは少ないのではと思うのです。

 

面白くない、この解釈はちょっと・・・

 

などととネガティブなことをいうのは、必ず作品にはファンがいるものなのでブログとSNSという違いはあれど、好きなように書いているように思われているかもしれませんが、ブログを始めた初期の段階で荒らしに狙われてコメント欄を閉鎖したので、いつ誹謗中傷が来るかと、日々問い合わせフォームを確認するたびに怯えているのが実情です。

 

正直なところ、文句を書くほうが筆は乗ります(笑)

 

 

・最後に

 

この記事でわたしが心に引っかかった個所は”作品を誤読する自由”という言葉です。

 

 感想っていうのは、本人の素地によって変わるし似たような感想を持つもの同士というのは作品の趣旨にそうかどうか別として確実にいて、でも、まったくどこの違いもなく同じ感想というのはあり得ないと思うし、逆に真逆の感想を抱くこともある。

 

ただ、わたしは作品はあくまで作り手のものだと思っているので、最近の風潮として作品の内容や結末に不満だからといって、作者本人を攻撃するのは違うと思いますが、誤読したその時の感情をブログに駄々洩れさせて発散するのはシンプルに楽しいから続いているんだと自分では思っています。

公式に攻撃はしかけないけど、駄作や設定の甘さには文句も死ぬほど言うし(笑)

二次創作なんかも究極の誤読では? と思ったりもします。

 

作品に抱く感想は、その人の生まれや育ち、今までの経験値。

そして作品を目にしたときの心理状態なんかも影響してくるのでその人にとっても一期一会だと思う。

疲れていて朦朧としているときに観るのと、パワーがみなぎっているときに観るのは全然違う。

 

去年はメンタルやられていたので、何を見ても面白くなかった時期があったしもったいないことをしたなと思った作品も何本かありましたがその時の悪いイメージが残っていて、再度観る気にはならないんですよね。

それは100%わたしの問題で作品に罪はない。

けれども、ネガティブな時に見た感想っていう感想が出来上がりはしました。

 

わたしが今まで絶賛した作品だって、今書いたら違う内容になっているかもしれない。

 

感想ってそのときの思いだから価値があるんじゃないかなと拡大解釈。

 

何十年後かに自分のブログを読んだら(読まないけど)黒歴史で恥ずかしい思いをするのは確実ですが、人生なんて黒歴史を重ねつつ生きてるようなもんだから仕方ないと思います(笑)

 

結論。

 

冒頭2記事は、アクセス稼ぎのためもあるのか煽り的な感じでセンセーショナルに書かれていましたが、わたしはそこまで重要な問題ではないのではないかと思います。

時代とともにエンタメの形が変わるのは普通だし、エンタメもビジネスなので。

 

こちらは常にそれを享受して作品を誤読しながらそのときそのときのエンタメを楽しんでいくだけです。

 

そして、誤読感想を垂れ流していきたいと思います。

今回はいつも以上に駄文でしたね。

お付き合いありがとうございました。

 

それでは、また。

 

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 ※自分で自分の文章を読解できているのかも怪しい。