つい先日、希死念慮をこじらせてうつの薬を飲みだして気持ちが安定してきたという記事を投下したばかりで、海外ドラマや映画ブログのはずが、メンタル系のことばかり書くブログとなりつつあるのがちょっと気にはなりますが、こんなご時世だからこそ書いておきたい。
トイアンナさんというライターさん、コラムニストさん、ブロガーさん? とにかく有名な文筆家の方のブログを読んで、少し物申したい気持ちになったので言及させて頂きたいと思います。
わたしのような些末なブロガーが彼女の記事に言及するのもおこがましいのですが、あくまで、トイアンナさんの場合とわたしの場合は違うっていう、個人差の話です。
SNSやブログ全盛時代は、意見の内容ではなくて、影響力のある発信者の意見が通りやすいじゃないですか。
全員がこうじゃないよっていうことを言いたくなりました。
苦しみのどん底に居てメンタルが壊れて死にたくなるのは自然な流れだし、疾病なので専門家に任せるのが最適な選択というところは同意です。
わたしも、薬の力ってすごいとちょうど感じていたところです。
たくさんの医療関係者たちが、心が壊れて苦しんでいる人をどうにか楽にしてあげたいと思って、たくさんの時間を費やして研究を繰り返して、色々な症状に効く薬を作り出した。
結果的にそういう人たちにも救われている、と今は思えます。
心の病気は治療すべきもの、としたお医者さんにもです。
心の病気は、もちろん病気なので、専門家に頼りましょう。
心に傷を負って、専門家の力を借りたことがあって、専門家の話の内容にしろ、薬にしろなんかしらの効果を感じた人は全員そう言うんじゃないかな。
ただし、目の前の人がそういう状態だったら周りの人ができることは、病院に連れて行くことというのは正論だと思うのですが、気付かないことも多々あるのではないかと思うのです。
今年の芸能人の自死の訃報で『前日まで普通だった』『そういう兆候は感じなかった』などと言われたりしていますが、わたしも今そういう道を選んだら、会社の人には同じように言われるだろうな。
職場では【職場の自分】があるし、そういう部分は見せないようにしています。
隣の席の人や近い席の人は薬を飲んでいるのは知っていると思うけど、それが安定剤だとは思っていないと思います。
葬式で、会社の人が来るようなことがあったら身内への挨拶で「仕事は真面目で遅刻もすることなく、休みも少なく、仕事に対して責任感が強かった、病院に通っていたことも薬を飲んでいたことも知らなかった」などと犯罪者が出たときの職場の人のインタビューの答えのような発言が関の山だし、お局様が知った風な風な口調で「〇〇さん、そういうところあった。わたし、わかってたもん、いつかこうなるんじゃないかと思ってた」と会社の人に言うのが目に浮かぶ。
1か月前はそれもどうでもよかったというか考えもしなくて、内に意識が向いていたけど、今はゼーッタイ嫌だ(笑)
なので、今の会社にいるうちは死なない。という、思考に至るまでお薬は効果があった、すごい。
話が横道にそれてしまいましたが、最近の芸能界の悲しいニュースでも、人当たりも良く気遣いが出来る責任感のある人だったっていう評価の人ほど、 『周囲に迷惑を掛けたくない』という思いが強く、突発的な行動に出るのではないかと思います。
実際、みんな演技の上手い方ばかりです。隠すのが上手だったのでしょう。
隠されてしまっては、周囲もどうにもなりませんが さすがに、
あなたの愛で人の命が救えるなんて思わないでください。思い上がりも甚だしい。
「死にたい」と言うひとが考えていることと、あなたにできることと、できないこと。 - トイアンナのぐだぐだ
これはさすがに感情的になりすぎではないかな、と個人的には思いました。
ご本人が立ち直るまでとてもつらかったんだと思いますが、現在、愛する人が辛い状態に置かれていて右往左往している人に冷や水を掛ける言葉で、ショックを受けた方も居たのではないかな・・・。
わたしは死にたい側だったのに、なんか傷ついてしまった。
わたしは、ケースバイケースだと思います。
確かに結果的に救えなかったとしても、愛が足りない証明ではないですが、救いたいという気持ちは愛からくるし、”思い上がりも甚だしいから専門家と本人に任せておけ”というのは、つい最近希死念慮に駆られてた身からすると、やっぱり周囲の愛もそれなりには大切だと思うんですよね。
愛だけではダメかもしれないけど、愛がないと出来ないこともあるじゃないですか。
そして、死にたいと思っている本人が辛く苦しいことはもちろんなんだけど、愛されていることがわかっていても「死にたい」という気持ちは一回持ってしまうとそんな簡単には消えたりしない、というようなわたしと同じ意見の内容だと思うのに、センシティブな話題だからなのか、この記事にとても傷ついてしまった。
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実際問題、わたしはちょっと家庭がアレだったので、辛い環境で育ってきていて、今は人生の中で割と幸せを感じながら生きています。
トイアンナさんと一緒で、ずっと生きてる意味を感じなかったし、死にたかったです。
今でも、世間的にいえばけして人からうらやましがられるような生活ではなく、人生の中で相対的に幸せな方だというだけです。
資産もなく裕福ではないけど借金もしていないし、変な会社で家から遠くてブラックすれすれの休みしかなくてボーナスもなく給料も安いけど働いていて仕事もあるし、古いけど屋根のある家で清潔な寝具で寝てるし、病院には通っているけど大病ではないし、趣味もあるし、なにしろわたしを大切に思ってくれる人と暮らしている。
だけど、メンタルが落ち込み切っていた時は幸せだけど、消えたかったです。
消えればすべてのことから逃れられると思ってました。
今思うと、何から逃れたかったんだろう。
あ、コロナと会社か・・・。
趣味を楽しむにも心の余裕が必要で、今年は趣味に対してのモチベーションが下がり気味ですが、なにしろ、今回の経験で、心の病気はバグなので「幸せでも、自分を愛する人が居るのがわかっていても、死にたくなることはある」っていうことがわかっただけでも、いい人生勉強だったなと思う。
何か目の前の問題が解決したら、パーッと霧が晴れて死にたくなくなるかというとそうでもないときもある気がするんです。
人間は意外と普通に生きていても、簡単に死のうとする。
自分が希死念慮に駆られていたほうなので、うまいことまとめられなくてすみません。
ただ、わたしは愛で人の命が救えることもあるとは思うっていうことだけは最後に言っておきたい。
なんでこんなわたしのために心配してくれるの?って思うんだけど、それもその人の自由だし、死にたいと思うのもその人の自由だから、難しい問題ではあるんだけどねぇ。
ショックなことばかりな世の中だけど、それぞれの人生の選択を尊重できるといいと思います。
※過去記事
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