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劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 感想 公式と解釈違いをしていたという大ショック。

 アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』→

劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 感想です。

 

ちょいちょいわたしのブログに現れるアニメの話。

割とアニメも好きというか、普段首都圏で人を山ほど見ている関係かどうかわからないけど、三次元の社会に疲れてメンタルがどん底に落ちるとアニメに走る。

アニメ通というほどではないけど、マニアックアニメもそこそこ観るという感じです。

 

震災の時は、毎日毎日ジブリを繰り返し観ていましたが、今年はコロナの影響で余計人混みに不安を感じるようになったので、アニメ率が高かったです。

その中でも、今話題の『鬼滅の刃』ではなく、もうそろそろ劇場公開も終わりそうですが『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』にハマりました。

 

名作なことは聞き及んでいたのですが、三話ぐらいまで観て、割とシリアスで深い内容だったので、一旦途中挫折していたのですが、なんとなく『外伝』を観たことで、その作画の鮮明さとストーリーの美しさに改めて魅了され、スクリーンでその美しさを堪能したくなり、急ぎ、途中になっていたアニメの全13話と、スペシャル版と併せて観ました。ちなみに、全てNetflixで視聴。

 

www.netflix.com

 

Netflixのタイトル画面には、ジャンルが【恋愛アニメ】と表記されていますが、ジャンル分けした人、ちゃんと観た? と思っていました。

【愛の物語】ではあるけど、【恋の物語】ではなくないですか?

 

個人的には、どちらかというとヒューマンドラマ(アニメ)だと思った。

なんていうか、あれだよね、価値観の違いかもしれないけど、レオンがマチルダを思う気持ちを【恋】と表現するのか【愛】と表現するのかっていうのが人によって違う感じかな。

ちなみにわたしは、レオン→マチルダを【恋】とは表現しない派だし、マチルダ→レオンも子どもだったため、自分の中で表現しきれない初めての気持ちを恋と勘違いしたと思っている。

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そしてヴァイオレット・エヴァーガーデンに関しては、お互いそういうんじゃないと100%思っているんですが、これは完全に作品に対する個人の見解なので「いや、あれは恋愛だ!」という意見は、例え公式がそうだと訴えたとしても受け付けません。

少女と成人(していると思われる)男性は、ちょっとダメっす。

 

というわけで、主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデン(名前)の成長物語のこのアニメ。

 

アニメの全体としては全13話で、そこにスペシャル、外伝、そして今公開中の劇場版があります。

前述の通り、アニメシリーズを挫折してるときに、外伝を観て世界観にハマって、そのあとスペシャル、アニメシリーズを完走となったわけですが、アニメのストーリーとしては9話ぐらいから後半急にボルテージ上げてきて、うるうるしっぱなしだったな。

号泣っていうか気づいたら泣いてる系の涙が来た。

 

そして、何より素晴らしいのが作画だと思う。

街の世界観、風景、花、人物の表情。

絵が本当に美しくて美して、絵を眺めてうっとりしていた時間がとにかく長かった。

アニメの絵の表情の変化で胸泣いたのは初めてかもしれない。 

 

このアニメは、まごうことなき芸術作品です。

 

そして、 もう一つ、ヴァイオレットの声を演じた声優さんの石川由依さんの声の演技素晴らしい。

 

ナウシカクラリスを演じた声優さんのような、透明感のある芯のある声。

ヴァイオレットの心境の微妙な変化を声で演じ切り感動しました。

 

そして『手紙』がモチーフになった作品ということで、なかなか口に出来ない気持ちを文章にし、相手に伝えるということの大切さが、コミュニケーション下手で、文章を日々書いているわたしに響く言葉もたくさんありました。

 

というわけで、アニメシリーズすごくよかったので、劇場版も非常に楽しみです。

 

劇場版の感想編は、観てからまた戻ってきます。

それでは、いってきます~。

 

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violet-evergarden.jp

 

 

 

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ただいまです。

観てきました。

 

まずは、大変な事件があった中、作画の京都アニメーションによる劇場版の完成、コロナ禍の中での劇場公開までたどり着いた関係者様、お疲れ様でした。

 

ありがとうございました。

 

このことには、本当に心から感謝申し上げたい気持ちです。

 

しかし、作品の集大成としては、わたし個人的には、

 

今まで、ずっと観てきて思ってた作品への解釈と、根本的に違ったんだな・・・

 

という結果になってしまい、非常にがっかりして帰路につきました。

 

※以下盛大なネタバレをしながら、感想を綴っていきます。

 

さらに、今回のストーリーに納得している方は、不快な気持ちになると思うのでここでお引き取りを願い致します。

 

 

 

 

 

コロナの影響で、上映予定の作品が続々延期になったり、なんとなく休みの日は人の多いところに出歩くのがまだまだためらわれるため、数か月ぶりの映画館で、無駄に期待値が高かったのもいけなかったのかもしれないです。

 

わたしが観てきた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品は、

 

戦争という時代に翻弄され、その身体能力の高さから、心のない武器という道具として戦場に駆り出されていた名もなき少女。

その少女が一人の大人(?)の男性との出会いにより初めて人間扱いされ、美しい花の名前を得て、言葉を知り、心を知り、さらに戦争が生む悲しい別れを経て、その後、様々な人たちの助けや支え、出会いがありながら、自分の心を表現するという喜びや意味を知っていき、職に誇りを持ち、一人の大人の女性へと成長していく、少女の成長物語・・・

 

だと思っていたのです。

 

これから観る劇場作品に嫌な予感がしたのは、劇場に入る前に入場者特典の小冊子を数行読んだ時でした。

座席に着くまでにまだ時間があったので、手持ち無沙汰になり、やめとけばいいのに読んでしまった。

今まで、原作は一度も読んだことがなく、劇場版を観たあとは、小説を買おうと思っていたため、どんな感じか知りたくなったのです。

しかし、豪華な入場者特典の小説を数行読んだわたしは顔面蒼白

 

え・・・これは・・・・。

 

わたしは、読んじゃダメなやつだった。

 

その後、本編。

 

特典小冊子の序章の段階で若干の予測が出来ていたため、少佐の死を未だ受け入れられないヴァイオレットからの少佐生きてる。

 

の流れはなんとなく、想像できました。

 

生きてんのかーーーーい!!!

 

とは正直思いましたが、まぁ、無連絡で生きてるということは、記憶喪失にでもなっていたのかな? ・・・うん、なってない。

 

社長を伴い、ヴァイオレットが少佐に会いに行く。

会うのを拒否られる。会えない。

 

オッケーオッケー。

 

病気の子どもと指切りをした仕事を反故にしそうになり、少佐と会うのよりそちらを優先しようとしたあたりは、このまま、戦争という過去と、少佐の呪縛ときっぱり決別【ドール】としての新しい人生を歩む流れか?

 

と、この時までは思っていたのです。

 

何故なら、死にいく子どもが友達に会えないままこの世を去り、友達が友達の居ない人生を歩みだしたから。

それと、ヴァイオレットと少佐がリンクしてると思っていた。

 

一方、ヴァイオレットは子どもとの指切りの約束も守れず、代理を頼んだうえ、今までテーマとしていた『他人の思いを、ヴァイオレット自身の成長していく心を通じた言葉を紡ぎ、手紙として伝えたい相手に届ける』という、ストーリーの根本のテーマを覆し、思いを直接伝えればいいところを手紙にするというところに情緒があったにも関わらず、文明の利器の電話を使用し、大団円としたところにも疑問を感じました。

色々な文明の機器がある今だからこそ、手紙の力をテーマにしたところが素敵だと思っていたので、ここにもショック。

それが【ドール】という職業の終焉を告げる合図だったとしても、実際、何歳まで生きていたかは不明だけど、ヴァイオレットは生涯代筆を続けたという後日談が添えられている。

 

そして、他人の思いを代筆ばかりしていたヴァイオレットが初めて自分の言葉を手紙にして少佐に渡す、というのが肝だったことはわかっていて、追っかけるまではいいとして、最後、ヴァイオレットは少佐の無事を遠目から一目確認できたことで、泣きながら少佐に背中を向け歩き出して欲しかった。

あと、少佐には追わないで欲しかった。

思いは手紙で伝えたので。

 

恋を知らないヴァイオレットが、親鳥を追いかけるひよこみたいに少佐を追い求めるのは仕方ないとして、少佐のヴァイオレットへの思いは、そういうんじゃないと思っていたし、いったい、ヴァイオレットのこといつからそういう目で見てたの?(驚)となってしまった。

 

最後の「そばに居て欲しい」が、「そばに居て欲しい(家族として)」ではなくて、「そばに居て欲しい(女として)」っていうのは、特典小冊子に書かれていたので、公式的に揺るぎない事実なのです。

【年の離れた恋人】と書いていました。

個人的には、非常に残念ですが・・・。

 

確かに10歳でお見合いをして、13歳で嫁ぐ時代なので、年端もいかない少女をそういう目でみることがおかしくはない時代だったのでしょう。

しかし、武器として道具として扱われていた、不憫な子どもを保護したいということではなく、女性として好きだからそばに置いておきたいということで戦場に駆り出し、たくさんの命を奪わせたり、両腕を失わせたというのは、紙一重ではあるけど、やはり愛ではなく、エゴではないかと思ったりした。

本当に愛しているのなら、子どもを戦場で戦わせたりせず、それこそすぐさまどこかの養子として引き取ってもらうか、孤児院に入れて、戦争とは引き離すべきだった。

少佐本人も言っていたけど。

 

ということで、あのアニメシリーズのやり取りに恋愛要素が加わったことにより、ヴァイオレットが親鳥と無理やり引きはがされて、たくさんの凄惨な体験をし、自分が人から奪ったもの、自分が人として失ってきたものを乗り越えて、職業人として社会で成果を上げている自立した女性という今までのヴァイオレット像を全て台無しにしてしまったんですよね(個人の感想です)。

なんで、ちゃっかり二人で幸せになろうとしてるんだろう・・・ってだんだん腹が立ってきてしまった。

 

この結果を経て、中佐からヴァイオレットへの愛のほうがよっぽど愛だわ、と思ってしまったのです。

自分のお給料を返上して、ヴァイオレットの大切なブローチを買い戻す、常にヴァイオレットの幸せを願っていた中佐のこの気持ちは、愛以外の何物でもない。

 

どうしても恋愛要素を盛り込みたかったのなら、少佐と決別したヴァイオレットが、新しい自分として(この際、カトレアさんの言う通り大佐でもよかった)誰かと新しい愛を見つけ、涙にくれる中佐とヴァージン・ロードを歩く花嫁衣裳のヴァイオレットが見たかったよ(涙)。

 

わたし自身が、個人的に大人が子どもをそういう目で見る話がどうしても無理という前提での感想なのと、やっぱり少女が主人公のハッピーエンドの結末は、恋愛絡みになってしまうのかと思ってしまったのも事実。

様々な生き方や、愛、多様性がうたわれている昨今で、同じ京アニ製作の『小林さんちのメイドラゴン』が、非常に時代に即した作品だと思っていただけに、がっかり度が激しかったです。

アンハッピーエンドを望んでいたわけではけしてなかったのですが、子どもとの指切りは守れなかった(仕方ないにせよ)のに、少佐と指切りですかって、最後の最後までちょっと呆然としてしまって。

 

なんにしろ、受け手であるわたしが、勝手に公式と違う解釈をして観てしまっていたという事実を公然と突き付けられてしまったショックで週末は、ことあるごとに思い出して立ち直れませんでした。

 

それもこれも、Netflix1か月分以上のお金を払ってまで観てもいい!と思うほど、アニメシリーズの作品を気に入ったから、劇場版をわざわざ出向いて、観賞したので、愛ゆえに反動が大きかったということはわかって頂きたいところです。

 

号泣、絶賛意見が多いなか、苦言を呈する感想をわざわざ言うのはどうかと思ったのですが、少ないながらもきっとわたしと同じ感想の人もいると思うんです。

 

今回の劇場版を観て、わたしと似たような感想を持った人と思いを共有できたら、わたしも同じ思いだったと伝えることが出来たら・・・と、今ある思いを伝えることの大事さをことあるごとにメッセージにして訴えてくれたヴァイオレット・エヴァーガーデンに倣って、すごく悩みましたが記事にさせていただきました。

 

日本が世界に誇れるアニメという文化に今後も、期待しています。

 

 

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